建物鑑定士登場

【茫猿遠吠・・建物鑑定士・・02.06.10】
『鄙からの発信』読者よりの投稿です。
投稿氏が悲憤慷慨しておられますが、茫猿も同じ思いです。
多くを語りますまい。外堀も内堀も埋められ、本丸が炎上していることすら気づかない鑑定士などは、速く消滅した方が社会のためになるのかもしれないと、思始めています。
『鄙からの発信読者・M.H.氏よりの投稿全文です』
競売評価フォームの建物減価修正を定額法と変則「観察法」の併用に統一する動きに反論していて、「国破れて山河あり」の実感に到りました。
合衆国日本州か中国日本省かの選択、不動産鑑定士か建物鑑定士かの選択が課題となる日が来るのではないか?
NPO 日本建物鑑定協会 なるもののインターネットのホームページで、http://www.tatemonokantei.or.jp/index.htm
このWeb Siteを読んでも無視できる鑑定士はエライと思います。
ここまでナメラレタラ、怒髪天を衝くか、建物鑑定士の資格取得に奔るか。
あなたはどうします。【この4行は茫猿の補足です】
『建物に関する知識の乏しい不動産鑑定士には作成できない』
『「建物鑑定書」(従来の不動産鑑定書と同意義とお考えください』と明言されているのに、『不動産の最有効使用・用途の判定 』はともかく、『不動産の時価評価書作成(建物の時価・土地の時価)』まで行うことを表明している団体に対して、何ら訴訟手続きに及ばない鑑定協会・鑑政連の対応。
これを売国奴的不作為と言わずに、団体・組織の存立は保てるのであろうか?
「外地」の領事館だからと、有耶無耶に75日が経過するのを待つというのが「国権」に対する内閣の処世であろうが、大は「有事法案」から小は「義務研修」など、銃口は常に内にしか向けない国家・団体の存立は虚しい。
団体・組織が戦う名分を忘れているというのが、現実かも。
名はあってもとっくに「国破れて」おり、「山河」も「汚れてあり」の状態ではなかったか?
「自己責任」とは、国も団体も名目だけの存在になった時の責任転換の言葉に成り下
がっている。(全体主義より救われるが・・・)
大方はいよいよ追い込まれているという認識はあっても、破れたという共通認識に至っていない。目下の倒れそうなところで必至に踏ん張っており、
下手に手を差し伸べれば、逆に押し倒す疑いすら持たれそうな・・・
「いっそ倒れてから立ち上がるのが楽」と気付いたのは、多重債務者だけ。
5年後の存続が危ういのに、10年後・30年後の計どころではない状態。
異常なのに、その異常さに気付かない状況が10年は続いている・・・
文字通り生活の糧を得なくてはならず、なお善戦することは必要でしょうが、個人の善戦が自己責任で行われて、7割の勝算で挑むべき決戦の期は、戦略がないのだから、当然に熟していません。
むしろ、敗地にまみれているという認識から、後日の反攻を企画する時なのでしょう。

後日を期す余命なければ、後継者に託す。
凌ぐだけの人生も、これ天命。
孔明すら、三顧の礼に応えるに際して、三国鼎立しか為し得ないと見通していたとか。
後顧の憂いなきよう自裁した奥方の悲劇も念頭に、凡人は運命にすら抗いようがない。
最悪の覚悟さえしてあれば、野に在る気楽さは捨てがたい。
もっとも大なり小なり、役を仰せつかると言わねばならず、徹底無役が望ましい。
吠えるどころか、最近はグチばかり・・・
以上、今回は投稿掲載にて終わります。

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