資産デフレは終息するか

【茫猿遠吠・・資産デフレは終息するか・・03.08.08】
 JMMについては、何度も『鄙からの発信』で取り上げていますから、弊サ
イト読者の多くはJMMメールマガジンを購読されているか、JMMサイトを
定期的にウオッチングされていることでしょう。
 ですから、改めて取り上げなくとも、先刻ご承知のことでしょうが、興味深
いテーマですから紹介します。
 2003年8月4日発行のJMMでは、
Q:421『今月初め、小泉首相は「資産デフレは終わる」と宣言したようで
す。本当に資産デフレは終わるのでしょうか。』
というテーマで、識者の意見を掲載しています。
 株価は底値圏を脱しつつあるというのが、おおかたの回答者の見解のようで
すが、地価については一部の地域はともかく全体としては、まだ底値圏に至っ
ていないと云うのがこれまたおおかたの見解のようです。
 この記事を読んで茫猿は考えました。
バブル崩壊に始まると云ったような地価下落の短期的な現象は既に終息してい
るのであり、現在の地価下落現象は長期的・構造的な原因によるものと云えま
しょう。では、その構造的要因は何なのか、そしてそれは解決可能なのか。
 その原因の一つは、少子高齢化であり、
住宅需要の戸数的減少は長期的に避けられない以上、それを補う質的増強施策(
一戸当たりの建築面積の増加に向かわせる施策が求められる)が求められてい
るのでしょう。なにせ、住宅戸数絶対量は既に充足しているのですから。
 同じような観点から、都市計画において住宅地の最低面積制限が設けられて
もよい時期にきていると考えます。例えば、250平米以下の区画敷地には建
築を認めないという類の制限があってもよかろうと考えます。
 部分的な都心マンションへの回帰現象は、周縁限界地域における地価下落と
いうよりは価格すら付かない現象を生み出しつつあると考えます。
 住宅について今一度、量から質への転換を意識し、新しいシビルミニマムを
構築することが必要なのだと考えます。
このことは、単なるデフレ対策などではなくて、総額を引き下げるために一画
地の面積がどんどん縮小すると共に建物の質の低下を蔓延させている状況を放
置することは不良資産の積み上げに他ならず、良質な社会的富の蓄積を先延ば
しするだけのことに過ぎないと考えるからです。
 また一つは、生産拠点の海外移転に伴う、海外、直接的には中国地価との競
合が挙げられましょう。土地は移動できないけれど、生産拠点を移動すること
により、工場敷地や勤労者住宅敷地等が実質的に移動してしまう訳です。
これを(生産)要素均等化定理と云うようです。
ただし、中国との競合は土地コストだけでなく、建設コストや物流費人件費な
どの複合的なものとなるから、単純に比較できるものではないのでしょうが。
 オールインワン型の日本経済がアジア地域のなかで垂直型分業に移るべく変
化を始めてから既に久しいが、次は水平型分業に移行してゆかねばならないの
であろうし、そのための意識変化と産業構造の変化が求められているのであろ
うと考えます。
 さらに挙げられる原因の一つは、住宅取得に対するマインドの低下に代表さ
れる「不動産保有に対する意識の変化」が云えるのでしょう。
 社会保障に対する不安、老後への不安等から長期ローンを組んで住宅を取得
するよりも賃貸を選ぶことにより、選択肢の多様さを確保しておこうと意識す
る人々が少しずつ増えているのでしょう。
 底流的には、農地や林地の下落は農林業の衰退が原因であり、農林地特に農
地の潜在的供給過剰が宅地需給に影響しているのでしょう。
市街地地価の下落は個人営業形態商業の衰退傾向がピークに達しつつあること
にも原因しているのであろうと考えられる。
 農業は実体的には既に安楽死状況にあり、日本の食糧自給率向上という観点
からは農業の新規再生施策が待たれる状況にある。農業再生については純農村
地域にはその萌芽が見えるが、都市近郊農村は旧態依然たる状況にあることが
問題である。
 同様に個人営業小売業の衰退も止めようがなかろう。既に旧来型商店街の地
価は下落しきっていると云うよりも有効な需要が得られない状況にあるといえ
よう。商住混在或いは商住併用可能という従来ならば地価にプラスに働いた要
因が、今やマイナスに働いている云ってよい状況にある。
 一般的に商業地にプラスに働く、繁華性、交通量通行量等の適性の多くは、
別の一面では騒音や煩わしさや緑の少なさとなって、快適性を重視する住宅地
にはマイナスに働くものである。
 商住混在または併用地域が住宅地としても快適性を維持できるための施策が
求められているのであろうと考える。
 この記事を書いている途中で、8/5付け中日新聞朝刊に「ジョロウガイが大
事」という見出しがあるのに気づいた。一瞬、ギョッとしたものである。
「ジョロウガイ・・女郎買い」と読んだからである。
(読める茫猿が歳だと云うことかも!)
 筆者は木村尚三郎氏であった。氏は「グローバルからローカルへ」と云い、
「ジョ・女、ロウ・老、ガイ・外」を大切にと云う。
・女性にとって美しく心地よい、土地ごとの暮らしと命の輝き
・老人にとって安心で、歴史や自然と共に生きること、
・外国人にとって判りやすさ
 いわば、鄙の再構築であり、コミニュテイを含めた町屋の再発見及び再構築
なのであろうと読みました。
※類似テーマについて述べる『鄙からの発信』
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_boen/newspaper.cgi?action=view&code=986902926
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_boen/newspaper.cgi?action=view&code=1012141418
 果てしない地価上昇があり得ないと同様に、果てしない地価下落もあり得な
いことでしょう。少なくとも日本が沈没しない限りにおいては。
でも、敷地250平米、建物延べ100平米の住宅が年収の3倍程度で取得で
きる時代に至るまでは地価は下がり続けるでしょうし、近隣型商業地と介在住
宅地の地価が等しくなるか、地域において妥当と認められる価格差に至るまで
は地価は下がり続けるのでしょう。
 急激に進む高齢化と農業の衰退は美しかるべき鄙を破壊し、高齢化と近隣商
店街の衰退は和やかな下町を破壊して行くのでしょう。その意味でこそ、今問
われているのは、グローバル化などではなく、ローカルのコミニュテイ復活な
のだと云えば、ノスタルジーが過ぎましょうか。
茫猿は、鄙や下町の保全こそが日本社会の「ハンドルの遊び」として有効だと
考えるし。成熟した社会をさらに豊かにするものと考えるのですが。
・・・・・・いつもの蛇足です・・・・・・
 茫猿の周り、つまり茫猿が住まう鄙においても、永年にわたって圃場整備事
業施行の是非が議論されている。議論は減歩率や補助率あるいは感情論に止ま
り堂々巡りを繰り返しているばかりである。何故、本音の議論をしないのと問
いただすと返ってくる答えはこんなものである。
・息子が継がない農業などどうでもよい。長く続く負担金を作りたくない。
・いつでも売却できる土地を保有していたいから圃場集約化は反対だ。
・食糧危機に備えて、家族と親族の飯米だけは確保したい。
 いずれも、ごもっともな話ばかりですが、自らが住まう村をこれ以上荒らさ
ないためには、どうしたらよいのかという視点が抜け落ちているようです。
一過性の下水道事業による穴掘り仕事に眼はゆくが、後に続く負担や債務返済
などには眼が行きません。霞ヶ関主導の愚かしい事業として、赤字覚悟の高速
道路事業や郵便事業(郵便よりは郵貯と簡保がもっと問題でしょうが)が話題に
なっていますが、農村集落排水事業と称する下水道敷設事業も先々に禍根を残
すものと考えます。
 鄙にしても商店街にしても、問題の根っこは一つであり、自らが住まう町や
村への愛情が薄れていることに大きな原因があるように感じます。
農業収入を主とし、或いは小売業収入を主とする本来的自営業者すなわち市民
であるところの村びとや町びとが姿を消してしまい、寝に帰ってくるだけの下
宿人が増えた村や町の悩みであると云ってよいでしょう。
こういった問題に茫猿自身がどう向き合ったらよいのか、日曜日もろくに家に
いない者としては悩みが深いのです。
 

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