サイト・眼光紙背

 突然に私的になるのだが、茫猿にとって2007年という年は、自らと家族・親族について幾つかのキーワードで表現できる年であった。キーワードの一つ一つはおいおいに記してゆくとして、今の関心事は「如何に生きてゆくか」である。60歳を過ぎてからは「如何に死んでゆくか」がキーワードになるであろうとおぼろげに考えていたが、65歳が間近くなってきて思うのは「如何に生きてゆくか」である。茫猿にとって両者は似ているようで異なるので、如何に死ぬかは十分に個人的であり、如何に生きてゆくかは少なからず社会的なのである。 


 「眼光紙背」は赤木智弘氏のブログ「深夜のシマネコ」からたどり着いたサイトである。かのLivedoorが07/10から立ち上げたコラムサイトである。Livedoor自身の惹句によれば「本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。」とある。不動産鑑定という世界に四十年近く生きてきた茫猿にすれば、このコラムに登場する「赤木智弘」氏と「保田隆明」氏の両コラムニストの記事に興味が深いのである。赤木氏は既述のとおりであるが、保田氏は「彼の公式サイト」や「ちょーちょーちょーいい感じ:Blog」を見れば直ぐに判るが、ワクワク経済研究所:代表 『やわらか系エコノミスト』である。
 不動産鑑定という仕事からなぜ赤木氏と保田氏に行き着くかと云えば、こういうことなのである。不動産鑑定士の全てがそうではないが、少なからぬ鑑定士はその業務として大規模開発や担保不動産評価や不動産証券化など富裕層が保有する不動産の利用・管理・処分に関わる分野がある。その一方で破産、競売といった破綻に関わる分野もある。破綻に係わる分野が必ずしも貧困層に直結するものではないが、往々にして当事者の周辺において貧困を目の当たりにするのである。誤解を畏れずにいえば、セルシオ・ベンツに象徴される富裕層及び彼等につながる顧客と、生活破綻やホームレスという貧困層とも仕事を通じて向き合ってきたのである。時にはアウトロー社会を垣間見ることさえある。
 不動産というものは土地と建物である。人の生活と活動の基盤であると定義される。人はその上に住まい、その土地を耕し、その土地建物で生業を営むのである。その不動産に係わり、不動産を見つめるということ(不動産を鑑定するということ)は必然的にこの世の人の生き方や社会の在り方に深い関心を持たざるを得ないのであり、深い関心無くして真っ当な鑑定評価もあり得ないと茫猿は考えるのである。
 「眼光紙背・茫猿的」は、そのような意味で、その拠って立つ位置で、何かを語ってゆこうとするのである。それが65歳を間近にした茫猿の拠って立つ位置なのであろうと考えるし、生き方なのではと思い始めたのである。赤木氏と保田氏は一見しておよそ交じり合うことのない世界にいるように見える。しかし、保田氏の「もしも村上ファンドが存続していたならば・・・」というコラムと、赤木氏の「年金ってそんなに素晴らしいのか?」というコラムは「その紙背」に通じるものを有しているのではと思えるのである。少なくとも既成のジャーナリズムなどには見られない、視点の独自性が認められるのである。
 最近、ソフトバンク・孫正義氏、アスキー・西和彦氏、ラクテン・三木谷浩史氏、そしてライブドア・堀江貴文氏に関わる短評を業界人から聞いたことがある。特に世評とは異なる堀江氏とLivedoorの実像についてはうなずけるものがあった。そんなマスコミが垂れ流す虚像と紙背に潜む実像との落差にも興味惹かれるものがあり、しばらくは茫猿的に紙背を探ってみたいと思うのである。茫猿的眼光紙背で云えば挙げた四氏は「二つの起業のタイプ」に分けられるのであり、単純に分ければ起事業型が西氏と堀江氏であり、起企業型が孫氏と三木谷氏なのではと思う。茫猿は生い立ちも今の姿もまるで違う四氏をライン型とスタッフ型と分けていたが、その視点から見れば四氏の在りようがより見えてくるのであり、水に落ちた犬は叩けと云うマスコミ報道からは何も見えてこないのである。旧世代的評をすれば、信長vs光秀であり三成vs家康なのであり、なかをつないだあだ花的存在が秀吉なのである。

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