この秋、目まぐるし

 この秋は目まぐるししい日々が続く季節となりそうである。個人的にも、仙台、東京、熊本と旅が多いし、NSDI-PTも一つの山場を迎えている。 社会的にも、後世から日本の転換点と評されるかもしれない解散総選挙の時期を迎える。


 早速、麻生新内閣発足後、ご祝儀も終わっていないうちに放言中山新大臣が辞任の意向を固めたと報道されている。 この問題は辞任すれば済むという類の放言ではない。ましてや失言なのではない。大臣就任で気分が高揚した挙げ句に、本音を漏らしてしまっただけのことである。 曰く「成田空港問題はゴネドク」、曰く「日本は単一民族」、いわく「日教組が強いと学力が低下する」、いずれも内閣の一員に許される発言ではない。確信犯的に発言するとすれば、内閣に加わることが許されない発言である。
 なぜなら、いずれの発言も憲法に抵触しかねないというよりも、抵触する発言であり、憲法遵守義務が課せられている内閣の一員には許されない発言なのである。 当然に任命責任も問われる。 成田問題発言は国民の財産権や事業遂行手続きへの異議申し立て権を無視する発言であり、単一民族発言は少数民族の権利無視発言であり、日教組発言は労働権や結社の自由権に抵触する発言なのである。 国会議員としての発言であっても容認できかねる発言であろう。中山氏にも思想信条の自由は認められなければならないとしても、憲法遵守義務が課せられている内閣の一員としては許されないことである。

 憲法第10章 最高法規
第九十七条
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条
 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第九十九条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 こちらも憲法に係わる話である。 
麻生首相は25日夜(日本時間26日午前)、国連本部で記者団に対し、保有はしているが行使はできないとする集団的自衛権をめぐる政府の現行憲法の解釈について「基本的に解釈を変えるべきものだと、ずっと同じことを言っている。大事な問題だ」と述べ、行使できるように解釈を変更すべきだとの考えを表明した。
 どうして日本の総理は大事なことを海外で発言するのであろうか。 鈴木元総理が「日米同盟」発言を行ったのも確か海外でのことだったと記憶する。 あの中曽根総理でさえもついぞ踏み込まなかった日米関係について『同盟関係』と発言し、当時の良識派伊東外務大臣の辞任に及んだと記憶する。 その後時間を経て今や全ての総理や外務大臣が平然と「日米同盟」と発言する。野党もマスコミも特段に問題にする姿勢をみせない。 同盟関係という表現が何を意味するのか深く考えようとせずに上滑りする言葉だけが垂れ流されてゆき、いつの間にやら同盟が既成事実のごとく定着してゆく、日米関係は米軍占領から安全保障条約へと続いている戦後処理の中に今もあるのだということが無視されている。
 安保条約は米軍の自由な行動を保証するための片務条約であり、それは日米地位協定に現れており、沖縄における米軍のプレゼンスに現れている。 沖縄だけではない。横須賀の原子力空母の母港化問題や青森三沢基地のステルス戦闘機配備に現れているのである。 もちろん、日本における米軍のプレゼンスが日本の安全に係わってきたという事実、日本の軽軍備・経済指向という一面も評価されなければならないが、今や日本の軍事(防衛)予算は世界有数のものであるという事実も指摘されなければならない。 日本は平和国家だと日本人は思っているのであろうが、アジアの隣人達からみれば強大な軍事予算と軍事力を持つ国なのであり、その気になれば原水爆も航空母艦も持ち得る国なのだという、彼らが感じているであろう潜在的恐怖感を日本自身が自覚するべきであろう。
 そこに、これも確信的発言である、「集団的自衛権」容認発言が海外(米国)で飛び出したのである。つまり、日米安保の片務関係から双務関係への転換を総理大臣が明言したのである。 多国籍軍へのインド洋給油までなら、かろうじて容認されたかもしれないが、集団的自衛権とは共同軍事戦闘行為そのものを容認する発言である。 解釈改憲などということですまされる問題ではない。 日本軍の海外派兵そのものに直結する発言である。
 茫猿はこの種の発言を聞くたびに思わされる言葉がある。 それはノブレス・オブリージュという言葉である。 エスタブリッシュメントに位置すると考える人々は先ず自らその「高貴な義務」を果たしてから発言してほしいと思うのである。 集団的自衛権を表明するのであれば、国民に海外派兵や海外での戦闘行為を期待するのであれば、まず自らの一族を自衛隊に参加させるべきであろう。 自らも、自らの子弟も危険行為に参加させることなく、安全な高みからお気楽な発言をしないでいてほしいと思うのである。 小泉元総理は自らの引退と引き替えに息子を横須賀選挙区から出馬させる意向と報道されている。 麻生総理も一族のなかにインド洋給油やイラク派遣自衛隊関係者がいるとは知らない。
 まさに「我が窮状」なのである。 沢田研二は「この状況」を見通していたがごとくに「我が窮状」を歌ったのである。 それにしても斯様に重大な決意表明に限って、日本の総理大臣は海外で表明するのであろうか、先ず国会の所信表明演説で発言するのが国民への礼儀であろうし、信義であろうと考える。 近く開かれる臨時国会の最大重要案件は補正予算などではなく、「内閣構成員の憲法遵守義務究明」であろうし、「集団的自衛権・解釈改憲」問題であろう。民主党のセンスとセンサーとスピリットが試されている。 この問題をスルーするのであれば民主党にも将来は見えないであろうと茫猿は考える。
 これらに関しては、こんな見方をするブログもある。 
・世に倦む日々 「集団的自衛権の策略と支持率の選挙情勢
・永田町徒然草 「馬鹿らしき事どもの検証
 

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