潮騒と十字星(4)

 翌々日「その2」(08/12/22:月) 天候:曇り時々雨、時々晴れそして曇り 
今回の旅のハイライト、旅の目的でした息子達の結婚式です。 結婚式場は山間の小さな農村に今も残るタマンサリ宮殿です。宮殿といっても壮麗な建造物や堅固な要塞などではなく、緑の山々と棚田に囲まれた農村のなかに残る大地主の屋敷程度の建物です。小豪族の館といった方がよいのでしょう。 今も現地の人々の結婚式にも利用される伝統的バリ様式の施設を単なる観光資源として利用するには山間に過ぎますから、外国人の結婚式にも開放し村人の働く場所も確保したという一石二鳥的利用方法といえば、鑑定士的見方が過ぎるかもしれませんが、さほど的外れでもなかろうと思います。


 式場関係者の話では、トップシーズンには週一、二回、オフシーズンでは月二、三回程度の利用があり、一日一回の限定利用で大人から子供まで含めて、ガムラン音楽隊、花嫁行列を構成する踊り子、調理、着付けその他のスタッフを含めて総勢百名程度が式に参加してくれます。 鄙の村人達にとっても家族総出で現金収入が得られるということのようです。 日本人の利用はまだまだ少なく、圧倒的に多いのは欧米人とのことです。
 式場のある屋敷の前は、青々と稲が生育する棚田が広がっていました。 バリは二期作は当然のこと三期作も可能と云うことでした。村の主産業が農業であることを証明するが如く、手入れの良く行き届いている稲田です。

 飾り付けを終えた式場の正面付近です。 バリ・ヒンドゥーの僧侶が祠祭する式の最中は撮影をご遠慮下さいとのことでしたから、挙式前に撮影しました。

 同じく式場の一部(上の写真の左手奥の建物)ですが、新郎新婦が奥に着座して、祠祭の祝祭・祈祷を受けます。曇り空で、もう夕方に近くなっていましたから、小型カメラではフラッシュが届きませんでした。

 式場のある屋敷の正面付近です。中央の建物ではガムラン音楽が演奏されました。

 結婚式の間中、ガムラン音楽を演奏してくれた村人達。 全員が男性です。

 式場から集落の中に入った村の集会所前から花嫁行列が始まりました。行列が歩いた距離は約1000mほどだったと記憶しますがさだかではございません。 今にも降りそうな曇り空でしたが、行列開始から式が終わるまで雨が降らずにいてくれたのは、とても有り難く幸いなことでした。 日本の花嫁行列ならまき菓子などの習慣もあるし、見物してくれている村人も少なからず居ましたから「撒き菓子などできたら」なと、ふと数十年前の我が身のことを思い出しました。

 寿楽というのだそうですが、12歳前後と思われる村の子供達がガムラン音楽にのって踊ってくれました。 日本で云うなら巫女さんが舞うのと同じようなことでしょう。

 踊り子達を見て何か語り合いながら微笑む母親達、たぶんガムラン楽隊が父親、行列の付き添いを務めるのが母親、そして舞うのがその娘達、傘や松明をかざして行列を先導してくれたのが息子達なのでしょう。

 松明や傘をかざして花嫁行列に参加し、式が終わるまで式場の前で立っていてくれた彼等を紹介しないのは片手落ちというものでしょう。前を向いて直立していた彼等もカメラを向けると微笑んでくれました。 ご苦労様、そして有り難う。

 新郎新婦が着座して祈願祝祷を受ける祝壇。

 式場祝壇前に並んだ花嫁花婿です。介添え役のお嬢さん達がとても可愛かったです。

 セレモニーも終盤、フラワーシャワーです。 二人に幸多かれと祈ります。

 親と弟妹もバリ装束で式に参加しましたが、終始別棟の参列者席に座って進み行く式次第を見ているだけで、役割は何もございませんでした。 全てのセレモニーが終わった後でガムラン楽団を除く地元のスタッフと一緒に撮った記念写真です。如何でしょうか、バリの王族に見えましょうか?

 結婚式が終わり日もとっぷりと暮れた頃に、遠路式に参加していただいた花嫁の友人三名も交えて祝宴が始まりました。祝宴の前に日本ならケーキ入刀ですが、バリでは子豚の丸焼きに入刀します。 残念ながらフラッシュが届かず子豚の写真はございません。 入刀した子豚は後ほど祝宴の料理として供されましたが、とても美味しかったです。

 後日、届いた「子豚丸焼き入刀の儀」です。新婦はまだ緊張の中にいたようですし、顔を見ずに背中から入刀したので怖がっていませんが、正面からの入刀ならば、こうはゆかないでしょう。

 宴会を盛り上げてくれたバリ舞踊です。この踊り子はプロとのことでした。 昨日のエントリーに、この翌日観賞したバリ舞踊の写真の一部を掲載しましたが、この日の舞踏に感激したせいか翌日の踊りが多勢で華やかだったにもかかわらず色あせて見えたのは仕方ないことでもございました。 またバリ舞踊は本来屋外で演じられるものではなかろうかとも思われました。 と申しますのも、この踊りも祝宴も降り始めた雨がなければ、屋外の別の場所で行われる予定でした。

 式の間中はとても緊張しているようだった二人ですが、式が終わり緊張も解け、プロに続いて舞台に出て踊る二人です。 なぜか男性の衣装が裾を引いているのにご注目下さい。 (親族の誰かが馬子にも衣装とつぶやいていましたが!!!)

 ところで、新郎新婦が着座すると聞いた祝壇の横に、なにやら不思議な壇が並んでいますから、式場関係者に伺いますと、葬儀用の祭壇ですとのこと。 処変われば品変わると云いますが、祝い事と忌み事の場が並んでいるというのも、それがバリ風というのでしょうが妙な気分でした。キリスト教の司祭も「死が二人を分かつまで永遠(とわ)の愛を」と言いますようですから、これで良いのでしょう。 他にも二人で聖なる門をくぐる清めの儀や、買い物を演じるバリ独特の結びの儀、それにフラワーシャワーなど、様々な珍しい式次第がございましたが、ここでは割愛します。

 この結婚式に至るまで堂守の心境が平穏だった訳ではございません。特に最近は「時節柄、これで良いのだろうか」と迷いました。
 この話を聞かされたのは夏前でした。婚約が整い両家の親が顔を合わせた時には、既に結婚式の予定を聞かされていました。 入籍は秋過ぎに、その後結婚式はバリ島でというのが二人の希望だと云うのです。先ず、堂守の頭をよぎったのは今までの親類縁者との付き合いをどうするか、孫の結婚を楽しみにしている堂守の老親にどう説明するか、白無垢を身にまとう花嫁姿を楽しみにしておられるであろう先様のご両親のお気持ちは、などと幾つものことを考えました。
 でも岐阜に帰ってくるわけでもないし、親の商売を継ぐわけでもないし、つまらない世間の義理や見栄などよりも若い二人の心に沿う結婚式が一番だろうと考えました。 海外旅行に行ける家人は当初から納得したというか賛成のようでしたが、先様の意向を大事にしよう、こちらの意向は花嫁の両親の理解を得てからと言い聞かせたことです。 でも11月に入ってからは、もう一度悩みました。 時節柄このような結婚式を認めて良いのだろうか、言い聞かせて無難な国内での式に変更させるのが堂守にとって、何より二人にとって最善なのではなかろうかと何度も考えました。
 茫猿はこのように考えたのです。 世間が不景気だからと云って、必要以上に縮こまるのはマイナスのスパイラルを助長するのに一役買うだけ、一週間程度の家族の海外旅行プラス結婚式だけのこと、今更に世慣れた訳知り顔をするのは止めよう。バリ島への旅と結婚式を楽しもうと考えたのです。 バリ島で現地のガイドさんや結婚式場の関係者から歓迎されて、改めて茫猿の考えはそれ程間違ってはいなかった、中止などしていたら行き届いたお世話をいただいた現地の彼等の落胆も大きかったろうと思わされました。
 バリ島での結婚式について、詳しくはこのサイトをご覧下さい。
「では、また明日。 Selamat tidur そして、ありがとう。 Terima kasih 」

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