緑壽

 緑壽という年齢の区切り方があるようです。 還暦、古稀、喜寿などという呼称は前から知っていましたが、緑壽という呼称は最近に知りました。 前期高齢者などという嬉しくない呼称が世の中に流行るようになって 久しゅうございますが、その六六壽を緑緑壽と言い指し、略して緑壽と言うのだそうです。


 本月末には満65歳の誕生日を迎えることとなる茫猿は、数え歳でいえば、この正月に66歳を迎えているわけです。 二人の息子がそれなりの生き方を見つけつつある今の私に相応しかろうと 我ながら密かに思うことでございます。 数多くの方々のご支援やご指導をいただきながら、大過無くどころか 過ち多き日々ではございましたが、それでも数え66歳という云う年輪を刻むことができた幸せを思う今日この頃です。
 ところが、世の中は皮肉と言うよりも非情です。 つい先日地元の町役場から一通の封書が届きました、何かと忙しさに紛れて放っておいた封書を確かめましたところ、その表に『介護保険被保険者証 在中』と記されているではございませんか !!!!!!!
 内容物を確認しましたら、被保険者証のほかに小さな冊子が同封されていて、その冒頭にはこのように記されていました。 「65歳以上の人は、原因を問わず介護が必要と認定された場合に、介護サービスが利用できます。」 我が家には今年八回目の年男を迎える父と、昨年に米寿を迎えた母が健在です。 お陰様にて二人とも介護保険のお世話にはなっておりませんが、今年は彼等の長男が介護保険利用有資格者となった次第です。 とても一言では言い表せない複雑な心境です。
『閑話休題』
 年寄りはとかく敬遠されがちなものであるが、高齢化社会においては有効に活用したいものと思います。 高齢者とは愚痴が多い、昔話をしたがる、同じことを何回も語るので、話がまわりくどい、それに加えて物忘れが多い。 だから付き合うのがメンドウである。
 デモネ、違う方向から観てみると、それでも顧問とか相談役として、何かの時の弾避けになります。 成功体験を語らせる必要はないのです、時代背景が違うのだから。 でも、失敗経験を語らせると、時には参考になります。 というよりも失敗の経験とか原因は、以外に時代を超えて共通することも多いのです。
 
 さらに、業界に生きてきた時間が長いから、わりと顔が広い。 おだてれば、嬉しがってシャシャリ出てくるから、使い方次第で役に立つし、使い道を間違えれば老害にもなる。 世間に対して疎外感をもっているし、現役を退きつつあるから、声をかけてやれば嬉しがる。
 いずれも、他者に対して思ったり感じたりしていることではない。茫猿自身の述懐であるし、茫猿でも多少は世間の役に立つのではという自負でもある。 枯れ木も山の賑わいと昔から言うではないか。 それでも自負が高じれば、やはり老害と化すのであることも、否めない事実であろう。
 それにしても、未だ見ぬ若者を暖かく迎え、消え去りかけている年寄りに優しい組織は、栄えるであろうと思われるのだが、如何なものであろうか。

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