墓参り

 姪夫婦が一歳三ヵ月の長男とともに父親(亡弟)の墓参りに来てくれました。彼女のひとり息子は弟にとっては見ることの叶わなかった初孫ですが、茫猿にとっても初孫みたいなものです。一歳の誕生日の頃は、言葉もままならなかったのに、もう歩きますし、「ハイ」とか「ブーブ」とか片言も話し始め、自我も芽生えつつあるようで、嬉しく思いました。
 弟がいたならベタベタに猫可愛がりするだろうなと思いながら、彼と我が「茫猿鉄道」でしばらく遊びました。 最初は母親や父親の膝を離れようとしなかった彼が、9mmゲージの上を電気機関車が貨車を連結して走り始めますと、じっと見入ってとても気に入ってくれたようです。そのうちに、運転する茫猿にも慣れたのか、私に抱かれても嫌がることなく(といっても両親が視野にあるあいだだけですが)、一緒に歩いてくれますし膝にも乗ってくれました。 我が家に来ても父親の手を離さなかった姪の姿は、ほんの二十数年前のことなのだと思えば、月日の巡りゆくことの速さを思います。


 貨物列車や近鉄アーバンライナーを眺めてご機嫌がよくなって、笑顔を見せようとしてくれています。

 砂利の上、石畳の上、煉瓦の上、小さな階段がお気に入りのようで、お千代保稲荷で買い求めたアンパンマンを道連れに歩き回ってくれました。

 さて旧盆の昨日今日はNHKが特集番組を放映していますし、総選挙を控えて各党はマニュフェストを自賛しています。与党のマニュフェストはこれから何を行うかよりも、4年前のマニュフェストがどう実行されたか、されなかったのかが問われなければならないと考えます。 野党のマニュフェストは何を行おうとするのかも重要ですが、より現実的でかつより重要なのは「何は行わない。」を鮮明にすることであろうと思います。
 また、マスコミをはじめマニュフェスト検証のなかで、「目標とする国のあり方」が見えないという批判が多く聞かれます。 目標とする国のあり方は難しく考える必要はないのであり、極々単純明快に「憲法前文に示す日本の進路・あり様を目標とします。」と言い切ればよいのに、それを主張する党派が見あたらないのが、少しばかり不思議に思います。
『憲法前文より一部抜粋』

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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