伊勢湾台風五十年と南関東直下地震

 今年は5千人もの死者行方不明者を出し、名古屋市南部ほか木曽三川下流の海抜ゼロメートル地帯を水浸しにした伊勢湾台風から50年目の節目の年である。 当時、中学生であった茫猿は被害全貌の多くを記憶していない。
 名古屋市南部や木曽三川下流地域の被害を知らなかったという訳ではない。 新聞やラジオ(当時はTVは我が家になかった)で被災の状況は聞いたり見たりしていたと思うが、それよりも自分たちが被害者だったり身近の縁者が被害者だったから、他の地域の被害について多くを記憶していないのだと思われる。


 被害といっても我が家が水害にあった訳ではない。 我が家は伊勢湾台風の進路直下にあったし、巨大台風の目に入って青空を見た記憶もかすかにある。それでも多少の強風被害(屋根瓦の破損ほか)と(輪中の)内水排除ができない農地の冠水程度の被害はあったが、避難したり生活に困窮したというような記憶はないけれど、隣接地域の被害の大きさは今も記憶している。 以前にも記事にしたことがあるが、我が家は木曽三川のうち長良川と揖斐川にはさまれた輪中地帯にあり、海抜は数メートル以下である。
《090930追記: この台風の目の一件は、土地の古老からツッコミがありました。伊勢湾台風は夕刻の上陸だから青空が見えるわけがない。見えたとしたら星空だろうということでした。 何せ50年も前のかすかな記憶です。 翌日の台風一過の青空と台風の目に入った星空の記憶を取り違えているのかもしれません。 それにしても、茫猿より一回り近く先輩氏ですが、時々はこのサイトをチェックしてみえるようでして、クワバラ!! クワバラ!! です。》
 伊勢湾台風のときも我が家の位置する福束輪中は破堤による浸水は幸いにもまぬがれたが、揖斐川対岸側の養老町多芸輪中では揖斐川(正確には支流の牧田川)が破堤して養老町南部のほぼ全域が床上浸水の被害を受け一ヶ月以上も避難生活を続けたのである。
 この時も、対岸側が破堤決壊しなければ自らの側が破堤したであろうと思われる。 実際に堤防の上から手が洗えるほどに増水したし、一部は堤防が損壊し破堤間一髪状況だったという話をその後に幾つか聞いた記憶がある。
 水害についていえば土石流の被害も悲惨だが、海抜ゼロメートル輪中地帯の大規模河川破堤による浸水被害も悲惨である。床上どころか屋根まで水に浸かって長い時間を過ごすのである。 浸かる水も日頃眺めている河川の澄んだ水ではない、塵芥、汚泥、様々な生き物の死骸が入り混じった澱み悪臭をはなつ汚水に浸されるのである。 周りを水に囲まれながら、飲み水が得られない渇きに苦しむという、皮肉な状態に陥るのである。
 輪中については輪中根性などと誤った認識が流布しているが、基本的に自らを堤防で囲んで被害を防ぐとともに、被害を一つの輪中にとどめて他に及ぼさないと云う側面ももっている。 当然のことだが築堤技術の低い時代には、大規模河川を制御できるだけの堤防が築けなかったという背景もある。
 伊勢湾台風の17年後、76年9月に発生した福束輪中上流側の安八町で起きた長良川本堤の決壊は記憶に新しいが、その後に木曽三川は堤防が格段に強化されているから、破堤浸水の危険を意識することはないけれど、大型台風の襲来でいつか揖斐川や長良川の堤防が決壊して、屋根まで汚水に浸かるという恐怖が完全に無くなったわけではない。 この数十年間はただ僥倖に守られただけと考えている。
 さて東海地震や南関東直下地震が折々に話題になっている。 南関東直下地震(みなみかんとうちょっかじしん)とは、2007年(平成19年)~2036年(平成48年)の間に、関東地方の南部(神奈川県・東京都・千葉県・埼玉県東部・茨城県南部)に70%の確率で発生すると想定されている大地震である。直下型・海溝型・海洋プレート内の全てが想定されていて、マグニチュード七級と想定されている。 別称に首都直下地震、東京大震災、東京直下地震などとも云われる。
 東京に行くたびに、この街で今大地震が起きたらどうなるだろうかと考えることがある。 新幹線の被災、火災、被災難民の群れのなかで、自分はどうすればよいのだろうかと考えるときがある。 杞憂と云えばいえるのであり、上京中に遭遇する確率は無視してよいほど低いのだろうが、今や東京には身内や多くの縁者が住んでいるのであり、阪神淡路震災を目の当たりに見た記憶もあるから、とても他人事には思えない。
 大都市東京の地震は、家屋の倒壊や発生する火災などの他にも、高層ビルの揺れ被害、ビルの中では避難場所がないし、被災者や傷害者を容易には救出できないだろうし、他にもエレベーターの閉じこめ、避難階段の集中、救急体制の麻痺などが予想される。火災が発生すればエレベーターホールは巨大な火柱煙突になるだろう。
 さらに予想される二次的な被害として経済機能の麻痺、東京に本社が集中することによる中枢機能麻痺、大都市だから避難者が多すぎて生活機能が維持できない、被災者の多さに比べて避難所が少なくて機能しないことなど、想像もできないほどの大災害になるだろう。 それが今後三十年間に発生する確率70%と云うのである。
 それでもベイエリアに高層ビルは林立し、東京一極集中は止まるところを知らない、首都機能移転を地方が言えば東京の力を削ぐつもりかと都知事が反対する。 せめて東京のバックアップ機能強化は考えられるべきであろうに、想像力の欠如というほかないのである。 茫猿は我が縁者に東京でマンション購入を勧めないというより反対している。 賃貸住まいに重心をおき「鄙に実家があるという保険」を大切に考えろと話している。
 それにしても、自らが自らの命と生活を守れる、あるいは数週間はサバイバル自活できる、そのような防災対策がなぜ講じられないのか、全ては無理にしても着手可能なところから始めようとアナウンスされないのか、不思議である。 誰しも万が一など想像したくないし、三十年間に70%の確率ならば今後二十年間は大丈夫だろうと、当てにならない神頼みをしているのだろうか。 これも、やましき沈黙の一つなのであろうかと、この頃はとみに思うのである。

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