ただただ無事であることを

 一夜明けてテレビが伝える福島、宮城、岩手三県沿岸地域の惨状に、言葉を失い、言葉の無力さを思い知らされている。 2008/10に訪ねた「気仙沼大島・はま家」の皆さんが無事であることを、また気仙沼の知友O氏の無事であることを祈るばかりである。
 2008年秋に仙台から気仙沼、2009年秋には八戸、そしてつい十日ほど前に羽後津軽日本海沿岸を巡ったばかりだから、かの地の様子はそれなりにわかっていているつもりである。 海岸に寄り添うように建っている家々に10mもの津波が襲来すれば、為す術もないことであろうと思われるから、人々が無事に避難していてほしいと願うばかりである。
 災害は忘れた頃にやってくると言うが、1995年神戸震災のあとでも、2004年中越地震、2008年宮城内陸地震など記憶のさめやらぬうちに襲ってきている。東京直下型地震や東南海地震の襲来も予想されていることであるから、常在震災の心得を忘れてはならないと思う。

関連の記事


カテゴリー: 茫猿の吠える日々 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください