疾風と小町

 東北会盛岡セミナー並びに懇親会を楽しませて頂いた茫猿は、翌日は民話の里・遠野に向かうのであるが、その前にJR新幹線盛岡駅にて「はやて:疾風」と「こまち:小町」の切り離し作業を見るのである。 東京駅から「はやて」は10両編成、その先に「こまち」6両編成が連結されて盛岡駅に到着すると、ここで先頭のこまち6両編成が切り離されて在来線の田沢湖線経由で秋田駅に向かうのである。 残された「はやて」は終着の青森県八戸駅へと向かいます。


 ところで、今回も弥次喜多道中を引き受けていただいたMu-さんと三連泊した盛岡グランドホテルは、市内の高台愛宕山に位置しているから繁華街からはやや距離があり、同行Mu-さんからは酔後に宿まで時間がかかると不評だったけど、高台だからこそ朝の冷気は気持ちがよいし、何よりも市街地の眺めもさることながら、盛岡市街を取り巻く早池峰山をはじめとする山々の眺望が素晴らしい。
 四囲を山並みに囲まれ、市街中央を北上川が流れる盛岡市は人口約30万人、岐阜市よりは(40万人)小さい町であるが、周辺に大都市がなく行政、観光、商業の中心都市として、よほど活気が認められる。 常のことであるが、人口三十万から四十万の県庁所在都市を訪れると、岐阜という町の立地条件の良さと、それ故にというか、それを生かし切れていない不遇さを思うのである。

南部をこよなく愛し誇りに思っていた吉村貫一郎は、新撰組壬生屯所で隊士達にこのように語るのです。「南部盛岡、それは美しいところでござんす、南に遠く早池峰山、西は南昌山に東根山、北のお山は岩手山、姫神山、ぐるりを高い山々に囲まれて、城下を流るる中津川は桜の馬場の下で北上川と合流いたしやす、いやあこんたな絵に描いたような土地はこの日の本に二つとなござんす。」(壬生義士伝より)

 ホテルからではないけれど、北上川・夕顔瀬橋より北に岩手山を望みます。 なんとも優しい名前の夕顔瀬橋は盛岡城下の北の玄関口ともいわれたそうです。 橋を渡ると盛岡駅北口が直ぐです。 残念ながら、この日の岩手山頂は雲の下でしたが、裾野の長さは見えました。
  
 この夕顔瀬橋から岩手山を眺めることができたのは全くの偶然なので、実は南部藍染めの暖簾を求めたくてグランドホテルのコンシェルジェが勧める藍染店に向かったが、生憎と臨時休業だった。 そこでタクシードライバーが勧める繁華街を少し離れた夕顔瀬橋付近の「蛭子屋」を訪ねたというわけである。 そこで藍染め暖簾を求めたあとで、蛭子屋さんが勧める夕顔瀬橋からの岩手山の眺めを楽しんだという次第である。 南部藍染め暖簾の代価は弥次喜多三夜の呑み代を上回るものだったが、でも納得できる買い物だった。 お店で頂いたお茶もお茶うけ(双鶴という南部藩の家紋を型どった上品な香煎落雁)もとても美味しくて、双鶴は土産に買い求めたくらいである。
       
  
 盛岡駅付近の街路樹には「ナナカマド」が多いのです。 紅葉にはまだ間があるようですが、紅い実はたわわにみのっていました。
  
 前日10/02、盛岡に11:00頃到着した一行が先ずは盛岡冷麺と、街なかを探していただいた昼食です。 冷麺の横にある赤い小鉢は辛さ調節用のカクテキです。 冷麺にはマッコリ(韓国産の米醸造酒、甘みと酸味がある7~8度程度の濁り酒)が良く合いますが、午後から研修の茫猿は口を付けただけ、大半はMu-さんの胃袋に納まっています。 何も知らずに飛び込んだこのお店:ペイワンは、MORIOKA麺マップにも掲載されている評判高い店のようです。 もちろんのこと、マッコリ無しでも十二分に美味でした。
  
 その夜、酒店(スナックとかバーとか)を探していたら、盛岡城の堀端に出ました。 城の石垣、松、そして十三夜くらいでしたか、とても佳い眺めでした。
 ” 石垣の 松越しに照る 南部月 “ (何ともはや、駄句ですが。)
  
 さてさて、本題の疾風と小町の別れです。 どうなるのだろうと眺めていましたら、ものの1分もかからない全自動の別れでした。 写真の右側がこまち、左側がはやてです。
  
 何の合図もなく、切り離し開始です。
  
 はやてを残して、秋田へと発車する「こまち」です。 切り離し即発車なのです。
  
 残されたはやてのヘッドカバーが閉じ始めます。
  
 ヘッドカバーが閉じます。
  

関連の記事


カテゴリー: 線路ハ何処迄モ, 茫猿の旅日記 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください