遠野物語

10月3日はホテルの朝食もそこそこにして盛岡駅に向かい、8:42発、花巻から釜石線経由、10:19遠野駅着の快速はまゆり1号の乗客となる。民話の里遠野を逍遥するのである。 遠野の駅前から徒歩で遠野蔵の道や遠野資料館を巡るがなにか違和感がある。 描いていたイメージと違うのである。 そこで気づいた、遠野は鄙の里なのであり展示物を観るところではない。 そこで、急遽レンタカーを借りることとして、駅前に戻り観光案内所からレンタカーを手配してもらう。 ドライバーは茫猿である。 Mu-さんは免許証を持参していないというから、これで此の日の遠野物語はノンアルコール決定なのである。


レンタカーを借りるためにもう一度、戻った遠野駅である。

遠野駅前の広場にはブロンズの河童達が遊ぶ庭が設けられている。清水昆や小島功の描くカッパたちと違って、なにやら野性味の多い河童である。ところで、境港の鬼太郎たちとの記念撮影も似合っていたMu-さんだが、ここでも河童達ととても馴染んでいるMu-さんなのである。

さて、レンタカーを借りて向かったのは、駅から一番遠い遠野ふるさと村である。 まずはふるさと村に向かい昼の腹ごしらえを済ませてから、他のスポットを廻ろうというのである。遠野ふるさと村のイチイ垣根は赤い実をつけていた。

ふるさと村には約9ヘクタールの丘陵地に幾つかの古民家(曲がり家が大半で、当時の支配層農家)が移築されている。その民家を囲むように水田や池が配置されている。写真は茅葺きは葺き替えられて新しいけれど百数十年を経た曲り家「大野どん」である。この家もそうであったが、各施設や移築古民家には地元のじっちゃん・ばっちゃんが「まぶりっと衆」として常駐して話し相手になってくれる。 大野どんの守り人(マブリット)はオン歳九十前のばあ様だった。彼女曰く「生きすぎたからの」という割にはずいぶんと話し好きだった。
それにしても、年月を経て古びた屋根棟に草の生えた屋根も懐かしいというか、好ましい風情だが、葺き替えたばかりの新しい茅葺きはとても美しい造形美である。揃えられた茅、切り整えられた軒先、軒裏や屋根裏に見えている縄組み、どれをとっても芸術というか職人魂というべきか、黒光りする木組みも含めて、石造や煉瓦造りにはない日本家屋の素晴らしさを思い起こさせてくれるのである。

谷の水を木樋で引いてきて、シシオドシの大型版のごと、水が受け口に溜まるとトーンという音を山里に響かせて杵が臼に落ちるのである。簡易版水力臼である。

ふるさと村を出て食事は後回しに、早池峰山を眺めたくて早池峰神社へ向かうのである。早池峰神社付近から眺めた雲がかかる早池峰山である。 そう思い込んで遠野市内に戻ったのですが、それは早池峰山の前に位置する薬師岳だろうと云われた。 岐阜に戻って地図を確認するとやはり前薬師である。 早池峰山は盛岡のホテルから眺めたから、見なかったという訳ではないけれど、開拓村から見た山の向こう側から雲が次から次へとわき起こる早池峰山(実は前薬師)も佳い景色だった。

慣れない借り車に慣れない山道を約60キロ、やや疲れたから遠野定番のジンギスカン焼きをノンアルコールでいただいて、道の駅・遠野風の丘に立ち寄りキノコや果物地元の農産物をながめて遠野駅に戻ります。その夜も盛岡・菜園通りや映画館通り界隈を徘徊して盛岡二日目の夜を楽しみました。では鄙からの発信定番の蓋・遠野版です。

ところで遠野といえば、「むがす あったずもな」で始まり「どんどはれ」で終わる遠野の民話「オシラサマ」や「カッパ」「ザシキワラシ」などにふれないのは片手落ちである。レンタカーで遠野ふるさと村、早池峰山などを駆け足で廻ったから、あやうく昔話を聞きそびれるところだったが、レンタカーを返して遠野駅に戻ると駅隣りの観光案内所で語り部ボランティア「いろり火の会」の方々が昔話を語っているという。
さっそくにお願いしたところ、刻限の4時まで二十分あるからと「ザシキワラシ」と、「トーフとコンニャク」を聞かせて頂いた。二つのお話ともに、あらすじは判るのだが細かいところは遠野ことばが理解できないけれど、楽しかった。聴衆二人だけのために語っていただいて、しかも無料という贅沢さなのである。
遠野で二度、三度と尋ねられたのは「どちらにお泊まり?」という問いかけである。盛岡に戻って泊まりますと答えると、さも残念そうに「泊まればよいのに!」と言われる。 確かに遠野の良さは泊まらなければ判らないだろうと思う。 泊まれば、遠野の里の入り日刻や逢魔が時や朝方などを満喫できるだろうし、座敷わらしや河童の影も見えるのかもしれない。 民話だって囲炉裏端で聞けば興も増すことだろう。 遠野は駆け足で巡るところではない、腰を据えて静寂に耳を澄ますべきだろうし、茅葺きにかかる月影に思い巡らせば、もっと楽しめるだろうと思う。 でも我ら弥次喜多は荷物を持って移動するのが億劫な年配者だし、盛岡菜園通りのネオンがひたすら恋しいのである。
この夜、盛岡市内の三陸五十集料理・鬼の手でいただいた岩牡蛎は絶品だった。 ふっくらとした大ぶりの身もさることながら、ほのかに甘く、そしてほのかに渋く、旨味と磯の香り満載の岩牡蛎は飽きることのない味である。

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