餘部の鉄橋

もう二十数年も前になりますか、1986年暮れもせまった12月28日餘部鉄橋から、回送中の列車が突風にあおられ転落して、真下にあったカニ缶詰工場を直撃し、工場で働いていた方5名と列車乗務員1名が亡くなるという事故がありました。 山陰線の谷あいを渡る鉄橋として有名だった餘部鉄橋は悲劇の現場となったのですが、最近になってようやく架け替え工事が始まっています。
新設の橋梁が完成すれば古い鉄橋は解体されますから、それまでに一度見ておこうと餘部に向かいました。 餘部は山間の小さな駅ですから普通列車の本数も少ないのです。 停車する普通は日に10往復ありますが、特急と連絡して利用可能な日中の普通は4本しかありません。 ですから豊岡までは「特急きのさき」で向かい、そこからは普通列車で「香住」駅へ、香住駅からはタクシーで餘部へ行きます。


日本海に向かって開けているとはいうものの、狭い地峡に架けられた高さ41m、長さ310mの鉄橋ですから、海からの風が地峡に吹き付ければ風の勢いが増すことは避けられず、特に冬場はしばしば運行が停止されています。
山陰線(京都から)や福知山線(大阪から)経由の特急は城崎温泉まで、鳥取方面からは播但線(姫路)や因美線(岡山)を経由して新幹線で京阪神方面へという旅客が多いことから、難所の餘部を経由する豊岡・浜坂間の連絡はあまり良くありません。 そんな餘部ですから防風壁を備えた新設橋梁の完成が待たれているのだそうです。(タクシー・ドライバー談)
餘部鉄橋の東側部分、日本海側から撮影。

工事が進んでいる新設橋梁、山側から撮影。

定番、香住の蓋です。

タクシーを待たせたまま撮影し、とんぼ返りという慌ただしい餘部行きでしたが、餘部の手前「香住駅」には懐かしくてほろ苦い若い頃の記憶があります。 何に疲れたのか行き詰まったのかはもう憶えていませんが、二十前後のある日に山陰線の乗客となり、「香り住む」という駅名のゆかしさに惹かれて降りたったものの、ひとり泊まった商人宿で、冬の日本海の吠えるような波音に眠れない一夜を過ごした思い出があります。
冬の香住海岸ですから、松葉蟹の季節だったはずですが貧乏学生には無縁な話で、荒れて寒い日本海に膝を抱え、吠える海鳴りに心乱されていたという記憶しかありません。 今回も思いつき行き当たりばったりでしたから、蟹解禁にも紅葉見頃にも十日ほど早いという何やらうら寂しい曇り空の下の寒々旅行でしたが、一度はもう少し足を延ばして、湯村温泉で蟹三昧と夢千代さんにお会いしたいものと思ってます。
《追記》
NHKドラマ「夢千代日記」のDVDを久しぶりに取り出して再生してみる。
ドラマの冒頭は吉永小百合さん演じる夢千代が、胎内被爆の治療受けている神戸の病院から湯村温泉へ帰る山陰線車中のシーンである。そこに1980年当時の餘部鉄橋が登場する。また、浜辺から山あいに入っている湯村温泉で、夜に聞く日本海の波音については、「どこかに連れてゆかれそうな海鳴り」というセリフも語らせている。
『てんでしのぎ』
原作者早川暁は夢千代にこうも語らせている。
「冬の日本海は厳しくて、沖へ出る船は皆てんでしのぎです。他の船を助けることはできません。私たちてんでしのぎです。」

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