この日、集合

 井上ひさしさんが亡くなったのは、去る四月のことです。 井上さんについて、幾つかの随想や短編を新聞や雑誌などで読んでいましたし、週刊金曜日などを通じて彼の考え方も断片的には知っていましたが、亡くなるまで、井上さんの書かれたものを単行本で読んだことがありませんでした。 だから直木賞を授賞した「手鎖心中」も、SF大賞を授賞した「吉里吉里人」も読んでいませんでした。 お亡くなりになってから、週刊金曜日の追悼記事で「この日、集合」を知り、読みたくなり、ようように落ち着いたしばらく前に通販で購入しました。


 「この日、集合」はA5版104頁という薄い冊子にしては、頒価1000円ですから高いと感じる本です。でも、薄さと中味は反比例します。 井上ひさし、永六輔、小沢昭一という当代一流の語り手たちの独話集と鼎談が納められています。
 
 サイトの惹句を引用すれば「何も言えなくなる前に、言っておきたいことがある。 憲法制定から60年の5月3日、井上ひさしさん、永六輔さん、小沢昭一さんの3人が急遽集まった。この3人が集まれば何かが起きるに違いない・・・。こんな時代だからこそ、どうしても伝えたい大切なメッセージが本になりました」とある。 語り手の名前を見れば判るとおり堅い本ではありません。 軽妙で面白く、そしてじっくり考えることを求める本です。
 書中で永六輔さんが、三波春夫さんの隠れたエピソードを紹介し、その文脈で憲法99条についてふれています。憲法というものの根元的な意味、すなわち憲法は国民を規制対象とするものでも、国民が規範とするものでもなく、為政者を規制し為政者が規範とするものであるということです。 《憲法99条》
 どうせ通販購入だから送料を節約しようと、この本の他にも幾冊か求めました。 まだ届いて間がないですから、読み終わったのは「この日、集合」と「ムサシ」だけですが、いずれも面白く一気に読めました。 「この日、集合」は先に述べたとおりですが、「ムサシ」は秀でた役者たちが絶賛する井上戯曲のセリフ回しの面白さ、展開の意外性などを楽しませてくれます。「組曲虐殺」を読むのが楽しみです。
手鎖心中:井上ひさし著、文春文庫
ムサシ(戯曲):井上ひさし著、集英社
組曲虐殺(戯曲):井上ひさし著 集英社 2010/05/10発行の遺作です。
わが蒸発始末記(エッセイ選):井上ひさし著、中公文庫
 そして「ボート」、生後3ヵ月でベトナム難民となった著者による短編集です。まだ冒頭の「愛と名誉と憐れみと誇りと同情と犠牲」を読んだだけですが、とても巧みな語り手です。訳者も優れているのでしょう。 こんな表現には脱帽です。

 何時間も、いや何日かもしれないが、それだけの時があって川面は凍るものなのだ。 ようやく氷が張ってから、完璧に結晶した世界を閉じこめる。 ところが、その世界も、ぽん、と石を一つ投げただけで、あえなく崩壊してしまうかもしれない。

※ボート:ナム・リー著、新潮クレスト・ブックス
 井上ひさし著、わが蒸発始末記の冒頭「喜劇は権威を笑う」には、次のような一節がある。大いに我が意を得るのである。

 高名な数学者が数の神秘について語るのを聞くことは、わたしにとって大いなる知的よろこびであるが、なぜ彼はそのうちに、日本人ならかく生きねばならぬなどと指図をするのか。

 いかなる権威も偶像も重圧も、わたしたちと同じ人間がつくりだしたものであることに気づくことも、よいことであるからだ。 しかし、この方法を使いこなすにはずいぶんと勇気が必要になるだろう。 なぜなら、非合理の権威も不合理の神も、おのれが矮小化されるのを黙って見ているはずはないから。

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