冊子:止揚より(4/4)

 冊子:止揚連載:福井達雨 著『負けいくさにかける(93)』を、止揚学園のご好意により、4部に分けて転載します。(2010/07/31発行)
・人間は偉大ではないのです(1/4)
・人間は旅人です(2/4)
・悲しいことあらへん(3/4)
・おじいさんは無職か(4/4)


《 おじいさんは無職か 》
 耳にあてると、「かつ子さんのお姉さんが危篤だそうです。早く帰ってきてください」と止揚学園からの電話でした。このお姉さんは末期癌で抗癌剤治療を受けて、入退院を繰り返していました。
 かつ子さんは四十年近く入園している仲間です。両親は亡くなっていて、このお姉さんが親代わりで彼女を支えてくれていました。
そして、かつ子さんに出会いに来る度に、「ここに来ると、皆がいろいろと楽しく話しかけてくれるので、心が明るくなり、病気のことを忘れてしまいます」とよく言っていました。そのお姉さんが危篤になる一週間前、突然、「かつ子の衣服のことが気になって整理に来ました」と止揚学園にやって来ました。整理が終わり、私と二時間ばかり、亡くなった両親や自分の病気のことなど、いろいろとよもやま話をしました。お茶やお菓子をおいしそうに口にして明るい笑顔の彼女でした。帰り際、「ご迷惑をかけると思いますが、かつ子のことをよろしくお願いします」と頭を下げ、何度か振り返って、止揚学園を去っていきました。
 「祈っているから、また、疲れたら話しに来てくださいよ」と声をかけながら、私はフト(これがお姉さんと出会う最後になるんやないかなあ。かつ子さんのことを心配して、私に頼みに来はつたんやなあ)と感じ、心をジーンとさせながらお姉さんの姿が見えなくなるまで手を振つていました。
 さて、よし子さんのお父さんの前夜式とかっ子さんのお姉さんの危篤が重なり、その二人のことが次から次へと心に浮かんでくる中で、私は自動車を走らせました。いつもは国道八号線を帰るのですが、気が急き(早く、はやく)と心を焦らせながら、自動車が少ない田舎道を走りました。突然、木陰から警官が現れ、自動車を止められたのです。気がつくと、法定速度四十キロの道路を七十三キロ
で走っていました。(しまった)と思ったのですが後の祭りです。心のドキドキが止まりませんでした。でも、ゴールド免許の私が速度違反をしたのですから仕方がありません。
 警官に「ごめんなさい」と謝りながら、パトカーの中で調書を書きました。若い警官がぞんざいな口調で私に聞きました。
 「おじいさんの職業は無職か」
 (七十人歳の高齢者は無職)と決めつける若い警官に私は (失礼や)と思いました。
 「無職でなかったらアルバイトか」とまた聞きます。
 矢継ぎ早の質問に戸惑っている私を (この老人は言っていることが理解できないのかなあ。しようがない老人だなあ。そんな老人が運転をしているから違反を起こすのだ)と思ったようで、私の話を聞こうともせずに書き上げた調書を読み上げまし
た。書かれていることは事実だったので、調書に名前を書き、印鑑を押しました。
 速度違反は悪いことです。でも、警官の姿勢は冷たく、権力的で何となく嫌な思いでした。違反をしても、人間にはいろいろな心の動きや状況があります。それを聞く温かさや優しさが必要ではないのでしょうか。違反をした者は警官には、一人の人間ではなくて、罪人としかうつらないようでした。私は警官から調書をとられている間、人間を否定されているように思えてなりませんでした。(権力によって個を、人間を否定する警察はあの戟争の激しかった時代の国家権力中心主義に戻っているのではないのかなあ。警官が弱い側に立つ者に温もりを持つことが、民主国家の警察や)と深く思いました。
 違反をして何日か後、気の弱い私は連れ合いの光子さんの付き添いで、身体を固くさせながら裁判所に出頭しました。冷え冷えとした中で、事務的な裁判がアッという間に終わりました。罰金を払い、受付に「本当にもう帰っていいのですか」と尋ねにいくと、「いいですよ」ということで、何が何かさっぱりわからないまま裁判所を離れました。
 心重い初体験でした。そして、(もし、私が重罪を犯していると思われたら、強い力に押さえつけられ、人間は全然認められへんのやろうなあ。そこから冤罪事件が起きるんやなあ)とシミジミと思いました。
 一ケ月の免許停止になり、私は(神さまが「速度違反をしたのは悪いけど、大きな事故を起こさなくて良かった。お前はこの頃、働きすぎて疲れている。一ケ月間、自動車運転をやめてゆっくりしなさい」と言ってくださっているんや)と思い、感謝しています。
 かつ子さんのお姉さんは、私が速度違反を起こした次の日の朝、天上に旅立ちました。安らかな、静かな旅立ちでした。
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