靖国と琴線:敗戦後70年

標題の「靖国と琴線」は 2005年11月16日 に掲載した記事である。 安保法案問題や沖縄普天間基地移転問題に関連して、敗戦後《終戦後》七十年に関わる記事を書くことが多く、それに伴って、このところ過去記事を読み返すことが多い。過去記事を読み返すたびに五年前、十年前、十五年前に書いた記事が色褪せていないことに、我ながら驚いている。

記事が風雪に耐える力を持っているなどと自惚れる気持ちは更々無い。 状況が書いた当時と変化していないから、記事が今も通用するのだと思っている。別の言い方をすれば、状況が好転するどころか悪化しているから、記事が通用するのであり、事態認識が多少は共有されるようになったから通用するのだと考えている。

そこで、新たにカテゴリーを設けて、新しい記事を書いたり過去記事をリメイクしたりしようと考えたのである。それが「敗戦後七十年」というカテゴリーなのである。なお、過去記事をリメイクしてまで再掲しようと考えたのは、このサイトの創設以来十七年を経るあいだにサーバの移転が何度かあり、サイトを構築するアプリケーションも幾つかの変遷を経ている。その結果として記事中のリンクが切れているし、レイアウトも混乱しているのである。茫猿自身が読み返すのにも結構苦労するから、レイアウトや誤表記などを正すことも含めてリメイクしようと考えるのである。

カテゴリー新設1号記事が「靖国と琴線」のリメイク記事なのである。
「靖国と琴線」
靖国について、小泉総理の参拝問題をはじめとして様々な議論がある。
前号記事の「靖国三題」で何が云いたかったかといえば、《靖国三題記事は、靖国の祭神、双葉百合子が靖国を歌った九段の母(1939年)、九段の母の延長線上にあり島倉千代子が歌った「東京だよおっ母さん」(1957年)》

1.靖国問題は日本の長い神仏混淆の歴史と明治維新当時の廃仏毀釈問題を背景に抱えていること。(習俗と宗教の問題)
2.平和不戦を祈ると云う靖国に、死者は恩讐の彼方にあるべき日本国内戦争の敗者さえ祭られていない事実。
3.日本人の琴線に触れてホロッとさせる歌詞が、問題の本質を隠してもきたし、あぶり出してもいるという事実である。photo_32

靖国神社には今や恩讐の彼方にあるべき戊辰戦争の敗者「白虎隊」も、西南戦争の敗者「西郷隆盛」も祭られていないのに、太平洋戦争を指導したA級戦犯が祭られていることが、何を指し示しているか。靖国神社の存在理由というものを問わず語りに語っているのではなかろうか。

長い神仏混淆の歴史に明治政府はピリオドを打ち、次いで廃仏毀釈そして神仏分離施策を遂行したのである。そのことは、招魂社として始まった靖国神社が国家神道と一体化して国家護持靖国へと昇華していった歴史と重なるのである。そのことの一面は習俗としての鎮守さまを、神道体系に組み込んで行くことでもあったのではなかろうか。

「九段の母」は、三番の歌詞が人々の琴線を揺さぶるのでなかろうか。
『両手あわせて  ひざまづき  おがむはずみの  おねんぶつ
はっと気づいて  うろたえました  せがれゆるせよ  田舎もの』

ここには二礼二拍一礼も「ポケットからお賽銭」も出てこないのである。
でも、この歌は三番の歌詞でホロッと涙腺をゆるませておいて、四番の歌詞で戦死者を顕彰し、靖国の母も顕彰するのである。

『鳶(とび)が鷹(たか)の子  うんだよで  いまじゃ果報が  身にあまる
金鵄勲章が  みせたいばかり   逢いに来たぞや  九段坂』

神仏混淆的なものが三番であり、今も多くの人々は神社氏子でありながら仏寺檀家であることに違和感もとまどいも抱いてはいない。それは多くの神社が鎮守であり氏神さまであり、半ば習俗だからである。だが、靖国神社と護国神社は、それら村の鎮守様などとは発祥も歴史も違う存在である。この両者(習俗である村の鎮守さまと、国家神道を体現する靖国神社・護国神社)を意図的に混同させようとするものがこの歌にはある。

島倉千代子の「東京だよおっ母さん」は、まだまだ戦後が随所に残る頃の歌である。歌われているようなお母さんも全国に健在であった時代であるし、何となく集団就職者と故郷の母が靖国を訪ねるという雰囲気がする。ここにも、占領戦後に区切りをつけようとする時代背景がかいま見えると云えば穿ち過ぎか。

小泉総理が云うところの、「不孝にして戦場に倒れた人々を悼んでお参りし、不戦平和の誓いを新たにする。」、「戦死者を追悼するという事柄に関して国外の人々に指図されるものではない。」、この二つは情です。情であるからして異論を差し挟めないのです。

でも靖国神社は「東京だよおっ母さん」の歴史だけではないのであり、「あれが 九段坂  逢ったら泣くでしょ 兄さんも」と情に流されていて済む問題でもない。その背後には、「鳶が鷹を生み、金鵄勲章を見せたい」と戦死者を顕彰して、戦意を高揚する歴史も存在したのであり、それは現在に続いていることを忘れてはならないのである。

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