Count Down も三号目

カウントダウン3000を始めて三号目記事になる。今朝は「鄙からの発信」の記事を記す前に、久しぶりに「晴耕雨読の日々」を記した。「晴耕雨読の日々」とは母の介護を始めた頃に介護記録を記した非公開の日誌であり、当時は「母の旅支度」と題していた。母の病状と私の日々の心の揺れ様を余すところなく記していたから、当然に非公開である。

この「晴耕雨読の日々」を記すことがこの一、二年は間遠になったと記していて、改めて気づいたことがある。それは「鄙からの発信」が様変わりしていることである。鄙からの発信が今や取り立てて発信することなど消え失せ、鄙に暮らす残日のあれこれを書き連ねるだけになってしまっている。なり下がっているとまでは言わないけれど変わり果ててはいる。見栄を張らず恥をかくこと厭わないのだから、それで善かろうが。

今年は梅雨寒を感じる。昨夜も寒さを感じてエアコンを入れた。晩年の親父が随分と寒がったけれど、年をとると新陳代謝が衰えて体熱が下がり寒さを感じるのであろうか。そういえばトイレの便座もいまだに温めたままである。洗浄温水も六月なのに冷水にはできない。心の冷えが身体も冷やしているのだろうか。

雨に打たれて彩り鮮やかに咲いているサツキを眺めていると、今年も美しく咲いたなと思う。今年は去年より色鮮やかだなとさえ思う。去年とさほどに変わりなく咲いているのだろうに、来年は見ること叶わず今年のサツキが最後かもしれないと何処かで感じているから余計に愛おしく思えるのかもしれない。雑木林の木立の緑も朝陽と青い空に映えてとても美しく見える。一期一会をまじまじと実感できるようになっているからだろうか。

母が居なくなってから長いこと押入れの圧縮布団袋に保管してあった綿布団をやっと処分した。燃えるゴミ袋20〜25袋に切り分けて廃棄処分した。町のエコドームへ持ち込むと布団一枚に付き500円を支払わねばならない。全部で10枚以上の布団だったから、5000円にもなる。それが町指定ゴミ袋25枚(¥50×25枚)で済むのだから汗をかいたけれど善しである。

これらの布団はいずれも孫たちがやって来る時のために母が用意していた客用綿布団である。母が孫たちのためにカバーを付け陽に干していたことを思い出すと懐かしくて捨てる気にはならなかったけれど、私の孫たち用の今様寝具を保管する場所が手狭になり母の孫たちの布団は始末されることになったと云う顛末である。次は親父の蔵書の始末と鉄道模型の始末であるが、さてどうするか。

長く使われぬままに納戸にしまい込まれている座布団と座敷机について、家人に始末を持ちかけたら「まだ要るでしょう、どちらかが死んだ時に。」と、却下された。今や、ほとんどの用務を斎場でこなすようになっているから、不要とは思うけど無下にもできず、またしまい直す。

(2014.10.09 晴耕雨読の日々より)昨夜は皆既月食だった。地球の陰に入り、地球大気で屈折した赤色光線に照らされて、薄く赤黒く光る月を初めてみた。 孫がやって来た時に、ジオラマで遊ぶにはまだまだ先のことであり、しばらくはプラレールで遊ぶであろうから、ジオラマ茫猿鉄道を解体して、空いた部屋でプラレールが遊べるようにした。ジオラマを再び構築することがあるだろうかと思えば寂しいものがある。《引用終り》

たまには取り出して走らせてみなければと思いつつそのままになっているHOゲージのSL模型である。こちらの体力気力はどんどん降り坂、孫の遊活力は昇り坂、昇りと降りの交差点はいつ頃だろうか。その折しもの時にジオラマを復元できれば嬉しいことだと思うがそうそう問屋が卸すだろうか。

「鄙からの発信」に病を得たことを記したら、未だに立ち寄っていただける何名かの読者からお見舞いを頂いた。そのなかに「鄙からの発信」の自費出版を勧めるコメントがあった。その見舞状への返信である。

「お見舞をいただき有難うございます。また、「鄙からの発信」へのお立ち寄り、有難うございます。病を得たということは、またひとつ他者の痛みを知る機会を得たことであり、また一つ死に方を考えさせる機会を得たことなのだと、それはそれなりに得がたい事なのだと考えております。」

「自費出版という励まし、有難うございます。せっかくのお勧めですが、旬を過ぎてしまったサイト記事を今更出版することなど考えません。終活や断捨離を意識する齢になってから、塵芥を増やすこともなかろうと思います。それでも三千号を過ぎたら、サイトを整理・校正・推敲などして、固定ページ(ホームページ)を作ってみても善いかなとも考えますが、はてさて如何なることになるのやら。」《この記事 No.2993》

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