車遍歴の顛末

04/20 に池袋で87才男性が運転する車が横断歩道で31才と3才の母子をはねて死亡させるという痛ましい事故が起きた。事故直後に元工業技術院院長氏は「アクセルが戻らなくなった」と詰まらない言い訳をしていたそうだが、車に不具合は認められずアクセルを踏み誤った事故とみられている。道路縁石に接触した後、数秒間で約150メートルも暴走(動転の余り茫然自失状態?)、ブレーキを踏むことなく速度を落とさないまま横断歩道に突っ込んだ模様である。

人の振り見て我が振り直せと云うけれど、いつまで運転を続けるのか悩ましいことである。我れはと云えば運転免許証を更新したばかりで昨日は新しい車が納車されたのであるが、この歳で人身事故を起こせば老惨ここに極まれりということになる。それにしても、公共交通機関が充実する都会で高齢者の運転事故が頻発するのは理解できない。バイクであれ軽トラであれ、自ら運転しない限り数キロ先のスパーへ買い物にも行けない当地とはおよそ事情が違うと思われるのだが。

2018.07.04には、こんな書き込みをした。『今乗っている車は2008/07/15納車のホンダ・シビックである。十年前といえば法人事務所を個人事務所にし、引退準備に入った頃である。だから車も小さくしたと記憶する。

それから十年、累積走行距離は86,000kmである。まだ10万キロに達していないから、もうしばらく乗るかというより乗り潰しを考えていた。何よりぼちぼち免許返納も視野に入れなければとも考えている。車も小さな擦過傷は数知れず、わずかではあるが錆も浮き出している。』

この頃には、まだまだ乗れるというよりも我がハンドル人生はこの車で全うしようと考えていたのであるが、ヒョンなことから乗り換えを考え始めている。一つは専用車を事故処分した家人がシビックを共用するようになり、自動ブレーキ、車線逸脱警報、踏み間違い衝突防止アシスト、フロント&バックソナーなどの安全装置装備車を求め始めたのである。さらにまた納車から十年も過ぎて、古びて見栄えが悪くなった車を新しくしたいと言うのである。

それで先月半ばなどは、出張の途中に立ち寄った車好きの次男をお供にして、家人は近在のデーラー巡りを三日間もするのである。集めてきたカタログからすれば、トヨタ、ニッサン、ホンダ、マツダ、スズキなどを巡ってきたようである。というわけで十年ぶりに車選びにワクワクしているのである。そこで新車選びの前に、先ずは我が車遍歴の顛末を残されたアルバムから振り返ってみるのである。我が車遍歴を振り返ってみれば、はしなくも我が青春彷徨でもあった。

”1969年8月頃撮影(茫猿25才)”  初めて車を購入する。大阪から帰郷し不動産鑑定士受験勉強に励んでいた茫猿に車が購入できる資力などある筈もなく、全て親の支援で購入した中古のカローラである。車は古いが茫猿はフレッシュ(若輩)だったと自画自賛する。

”1971年8月撮影(茫猿27才)” 前年秋に結婚後間がない時期に、当時は某銀行に勤めていた家内の夏季賞与の全額支援を受けて購入したスカイライン(いわゆる箱スカ・U-Car)である。この年の11月に二次試験に合格する27歳受験生の茫猿であるが、琵琶湖までレジャーに出かける余裕もあったようだ。なお、合格後直ちに東京での実務補習に参加するのであるが、その費用も大半を家内の冬季賞与に負っている。

今にして思えば、結婚で退路を断ち、背水の陣で受験勉強に臨み、通勤の車購入費も実務補習参加費も家内の支援を受けてのことである。2020/10/3(金婚)迄には確かな謝意を示さずばなるまいと考えている。1974年5月に中部総合不動産鑑定岐阜支店を開設する。支店長に就任間もなく初めて自前でしかも新車のニッサン・ローレルを購入する。この頃から、「三年or十万km」を目途に車を乗り換えてゆく、毎年五万キロ近くの走行距離を記録する鑑定士&ハンドル人生でもあった。

”1977年9月撮影(茫猿33才)” 事務所の懇親で皆生温泉方面へ旅行中の高速道SAにて、まだまだスリムな33歳の茫猿とローレル。今にして思えば、こんなキンピラゴボウみたいな若輩に、よくもまあ不動産鑑定評価の依頼があったものよ。

”1982年4月撮影(茫猿38才)” 長くニッサン車に乗っていたが、トヨタ・セリカXXに乗る。セダンからツードア・ハッチバック車に乗り換え、ヘッドランプが格納されるのが目新しい。

”1984年8月撮影(茫猿40才)” セリカXXの後継車である同じくセリカ・スープラ。蒜山方面へ家族旅行中にサンルーフから顔を出している愚息たちも、既に四十前後になった。実査の折に車が話題になれば、ナンバーを指し示して『苦労人』なのですとシャレていた。

いつしかツードア・ハッチバックタイプが似合わなくなり、セダンに回帰する1990年1月、車はニッサン・セドリックである。(庭先にまだ鄙桜の姿はない)

”1992年03月撮影(茫猿48才)” なぜか再びツードア車に回帰してトヨタ・ソアラである。この車は成長して上背が伸びた息子たちには、後部座席では頭が支えるし差し込む陽射しも暑いと不評で、家族で出かける時は兄弟で助手席の取り合いだった。一年も乗らずにセダンに乗り替えたと記憶する。

”1992年8月撮影” そしてまたセダンに戻って、ニッサン・シーマである。家族で佐渡ヶ島方面へ旅行中のスナップである。

その後は左からプジョー600、ホンダ・レジェンド、インスパイアなどに乗る。アルバムに写真が残されていないので、ネットから取り込む写真である。
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2008年7月(茫猿64才)からは現車のホンダ・シビック・ハイブリッドに乗っている。以前の写真と写る家屋は同じだが、大きく伸びた鄙桜の存在が異なっている。大きくはなったものの、アルバムから推定すれば鄙桜の樹齢は30年前後のようである。

《さて、車遍歴の顛末は如何なる決着を迎えるのであろうか。安全装備満載の新車なれどダウンサイジングしてコンパクトカーに転じるのか、それとも古びたシビックに後生を託すのか、はたまたグレードを維持して新車乗り換えという僥倖に巡り会えるか、数日後には結論が出る予定である。今気を惹かれているのはこの車である。いずれにしても親の支援を受け家内の支援を受けて始まった車遍歴の最後は、家内が購入する車で終着しそうである。》と、記したのは2019.02.03のことである。

それから二ヶ月半、新しい車がやっと納車された。この十年間に納車事情がすっかり変わり、新車納車は工場オーダーシステムへと変わったようである。 納車されたのは、家人好みのルージュアメジストカラーの安全運転支援システム搭載のコンパクトカーである。半世紀を経て車のサイズは一巡したということのようである。

ところで、今回の車探しに一度だけ付き合った時に、営業マンが得々と説明したのは「T-Connectの通信接続」である。一見、便利な機能に見えるが、うっかり接続すれば鵜飼の鵜より酷い話になってしまう機能である。全国どこに居ても”トヨタ”に把握され、ひいては警察や奥さんに把握されているという恐ろしい機能なのだ。便利さと危険度は表裏一体なのだ。

十年前の『 車遍歴 投稿日:  』記事、現車シビック購入時の投稿である。確認してみたら、前回購入も二ヶ月近くを要していた。

《2019.04.23 追記》
04/21 に自治会西屋敷班長として最後の仕事である西屋敷の親睦会を開催した。集めた参加費(3,000*(14-3))+自治会補助20,000=53,000、開催費65,000との差額は二年間の不行き届きをお詫びする気持ちを込めて、私が負担した。

この席でひとりの訃報を聞いた。私より学年で二つ下、かつては同じ町内に居住していたM.K君が昨年の暮れ近くに亡くなっていたとのことである。様々な曲折を経て隣町に独居して農業経営をするようになってから、毎年今頃には我が家のすぐ近くで苗代田を作っていた。中江川越しに挨拶を交わすだけの付き合いだったが、あの歳でよく頑張るなと見ていた。小雨降るなかに腰を屈めながら苗田に入っていた彼の姿が眼に浮かぶ。

隣町に独居するに到るまでの紆余曲折には毀誉褒貶混じえた様々な評価があるのだろうが、こと破れたのちに再起を目指して頑張っていた晩年は観るべきものであろう。何も聞くことは無かったけれど、黙々と稲作に励んでいた姿は今も眼に浮かぶ。達筆の賀状も川越しの大きな挨拶声ももう無い。またひとり年若の知人が先に逝った。「M.K君よ安らかに眠れ」

鯉の乗っ込み(産卵)の季節である。大榑川から体調50cmはゆうに超えているだろう野鯉の群が、時折跳ねながら中江川を遡っている。町内の何処かの小川か水路に遡って産卵するのだろうか。

 

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