サツキ盆栽

盆栽を始めた。盆栽の本流である松柏盆栽とか盆梅を始めようと云うのではない。なんとか形になるまで何十年も要する松柏盆栽を手がける時間的余裕などは残されていない茫猿である。だいいち、畑仕事のうえに庭木や雑木林の手入れも待ち受けているから、鉢物などには見向きもしてこなかった茫猿でもある。

数年前に十年以上も育ててきて少しは見られるようになった、欅と杜松の盆栽二鉢を枯らしてしまったことがある。十日間の北海道旅行に出かける前に養生をしっかりしておかなかったせいで、帰ってきたら枯らしてしまったのである。それ以来、鉢物を手がけることは止めにしていた。

それがどういう風の吹き回しかといえば、始まりは雑木林の片隅で拾い上げてきた銀杏の落果・実生苗である。刈り取り残された数本をなぜかは憶えていないが、まとめて鉢に植えておいたのが二年になる。同じように実生苗のカエデを畑の隅に植えてあるのが数本ある。これも庭の片隅で他の木の陰になって、枯死寸前になっていたのを掘り上げ、焼却するにしのびなく畑に移植しておいたサツキも数本ある。これら、盆栽の世界では雑木盆栽といわれている樹々をつれづれに楽しんでみようかと思いついたのである。

金をかけようとは思っていない。もとの木は雑木林などから拾い上げたもの、鉢は納屋の隅にころがっている素焼き鉢や、使われることのない古いプランターである。鯉を飼うのは諦めたし、何日も家を空けることができないからペット《シバ犬》は飼えない。それで駄目元の雑木盆栽を始めようかと云うセコイ考えである。おしなべて生き物は手がけた手間の数だけは答えを出してくれるから、これら雑木盆栽を育ててみようと云うのである。《盆栽を呼称するには、まだ早過ぎるから、しばらくはただの鉢物である。例えれば、横丁の隠居が軒先に雑然と並べている鉢物といったところである。》

父が遺したシンビジウム、母が遺した石斛《セッコク》などの鉢物と合わせて管理して行こうというのである。師匠につこうとも金をかけようとも思わないから、枯死寸前焼却寸前だったサツキが、多少は見られる鉢になるかは判らない。でもそんなサツキでも命ある花木である。せめて花を咲かせてやりたいと考えるのである。花を咲かせるようになったら、少しは良い鉢に代えてやろうと思っている。雑木盆栽も衣装《植木鉢》からと云うたとえもあるようだし。

盆栽をいじりだし、「鄙からの発信」にも身辺雑記ばかりを書き連ねるようになったということが、すなわち老化と云うことなのだと自嘲もしている茫猿である。それに鉢の数をあまり増やすと、後に残る者が始末に困るだろうから程々にとも考えている。

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《ところで》 鄙里茅屋の裏庭を家人の管理に任せている。猫の額ほどの広さであるが、ベランダ・ガーデニングに慣れ親しんだ身には広すぎるようである。それでも家人いわく、イングリッシュ・ガーデンを目指すと云うから、薔薇やハーブの移植、邪魔とする樹木の伐採や穴掘りなどそれなりに支援している。ただ、カタバミ、マツバウンラン、ニワセキショウなどを跋扈させている。家人に言わせれば、グランドカバーなのだと云う。ただし、種子が風に乗って畑に飛んできて繁茂するので、迷惑なのである。

茫猿がカタバミなどを抜き取ったついでに、止せばいいのに、無精者のイングリッシュガーデン、庭師任せのフレンチガーデンと揶揄したら、ご機嫌斜めになりました。

 

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