走り抜いた六連載

 森友案件に係る鑑定評価&調査報告(1)〜(4)続いてモリトモ(C.I.P)勝手連(1)および(2)を当サイトに連載した。2020年5月20日から2020年5月27日までの8日間に6本の連続記事掲載である。掲載し終えた今はある種の感慨を味わっている。矢張りな、変わらないなと云う思いと、茫猿老いたりと云う思いと併せて自問自答している。

 愚痴っぽい言い方になるけれど、疲れた、眼をやられてしまった。いずれもそこそこ長文の記事を連載したものだから、やむを得ないことでもあるが。通常の記事とは違い、大阪府士協会発調査報告72Pを始めとして幾つかの資料を二度三度とモニターで細かい字の羅列を読み込む作業を連日深夜まで続けたのである。

 体力や眼力が衰えたのは云うまでもない。眼力は肉体的にも資料を読み解くと云う意味でも、衰えを自覚させられた。報告書を一度読んだだけでは意味を掴めないのである。業界人にとっては報告書の肝とも云うべき大事な箇所を読み飛ばしてしまった。Webで資料を探し掘り下げてゆく根気も衰えものである。

 吾が身の衰えもさることながら、最も脱力感を味わわされたのは、記事掲載の反応である。炎上までは期待しなかったが、新型コロナ感染症騒ぎで自宅に滞在する業界人も多かろうから、記事やSNSを読み込んで貰えるのではと期待したのである。が、甘かった。

 我がサイトに関しては数日間はセッション数(訪問数)が倍増した。最近は日頃のセッション数が低迷していたから、倍増といっても大した数ではないのだが。ページヴューは4〜5倍増した。しかし、それだけのことである。それ以上の反応は無かった。今日のセッション数は常態に戻っている。FB書き込みが誘導する一過性の増加だった。スマホからのアクセスであろうから、ロクに読まれてもいないだろう。

 そのSNSに至っては、ダイレクトに脱力感を味わっている。「イイネ」も「フォローコメント」も殆ど得られなかった。久しぶりに重さのある記事を書いたと思っていたのは茫猿だけで、世の中はモリトモ、カケ、サクラはもう過去のこと、キク(検事のバッジは菊と旭日がデザインされている。秋霜烈日のバッジとも云われる。検察庁法改正案事件)さえも通り過ぎつつある。 

検察官記章

 『忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ』なんて云う決め台詞を憶えている人は、もう居なくなってしまった。《放送時間には銭湯から女性客が消えたと云うラジオドラマ”君の名は”の冒頭のナレーションである。古いね、茫猿も二周くらい遅れたね》

「疚しき沈黙は避けよ」と言うのは結構難しい注文であろう。人それぞれに立場も立つ位置も有るだろう。それでも、人々の無関心、無気力、無感動が事件を風化させ忘れ去らせてゆく。この事件(森友案件に係る鑑定評価&調査報告)もそうして日々起きる事件の谷間に埋もれてゆく。自らにしてからが、2017/03当時に、この事件に気付いていながら、追跡不足、掘起し不足だったのを悔やんでいる。『気塞せりなことばかり 投稿日: 2017年3月19日』

 安倍総理は踏み止まっている。検事総長経験者達からルイ14世を引用して諌められても「ルイ16世」ではないと、勘違いしつつ居座っている。
 検事経験者達は曰く『本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。』

安倍総理は「朕は国家」のルイ14世か? 投稿日: 2020年5月16日

2019.03.18 https://asagei.biz/excerpt/1294より
『森羅万象を担当する総理』
2月6日の参院予算委員会では、国民民主党の足立信也議員(61)から不正統計問題を追及され、「特別監察委員会の報告書は読んだのか」と質問されると、「総理大臣でございますので、森羅万象全て担当しておりますので、日々さまざまな報告書がございまして、その全てを精読する時間はとてもない」と攻撃的に言い放った。

〈宇宙に存在する一切のもの〉を意味する「森羅万象」発言で、一国の総理どころか神の領域に達したのか、とネット上も騒然となった。「口癖みたいなところもあって、過去にも何度か発言しています。今回も発言後の反響が大きく、『安倍ゼウス』と呼ばれて話題になりました」(政治部記者)

『私が国家です』
 逆にこれに気をよくしたのか、その4日後となる2月10日の自民党大会では、「悪夢のような民主党政権」と挑発して物議を醸している。野党側は撤回を求めたが、安倍総理は何が悪いのかと言わんばかりに拒否。そして極め付きは、2月28日の衆院予算委員会のこと。立憲民主党の長妻昭議員(58)から「統計問題を甘く見ないほうがいい。扱いによっては国家の危機になりかねない」と忠告された安倍総理は、「国家の危機かどうか聞いたが、私が国家です。総理大臣ですよ」 とまで放言。さながら独裁者気取りである。

《2020.05.30 追記》何をやっているのかと思うことがある。とっくに引退した業界のあれやこれやについて、今更に何かを言わんとするのかと思うことがある。雀百まで踊り忘れずと嘯いてみることもある。言うべき事という程の事でもないし、言わねばならぬとまで追われているわけでもない。只々、このようなサイトを20年、3000号を超えて続けてきて、書きたいと思うことが浮かべば書いておく、書かぬことは疚しい沈黙に繋がる。何かに忖度することなく、阿ることもなく、書きたいこと書けることを綴っておく、もう残り少ない日々、月日、ヒョットすれば年月日だから、ただそれだけのことである。

【閑話休題・青豆あれこれ】
 絹さやとスナップエンドウの収穫期の終わりに、豆が大きくなるまで少し日にちを空けて置いてから、豆ツルを刈り取った。支柱とツルを這わせた網から豆ツルを外しながら太った豆を沢山、収穫した。

 それからがまた一仕事である。豆を鞘から外すのが結構手間のかかる作業である。乾いた豆なら敷物の上で叩けば鞘は弾けて豆が飛び出すけれど、青豆は一つ一つ手で鞘を開けるのである。

 収穫した豆・グリーンピースは、先ず炊き込んで青豆ご飯、それからジャコやニンジンなどを混ぜて掻き揚げ天麩羅、そして極め付けは青豆のスープをいただいた。

 山の神様の労作である。湯がいた青豆と炒めた玉ねぎを摺りつぶし裏ごししたものを、牛乳で溶き、バター、調味料で味を整えたスープである。食べ物というものは一手間二手間かければ、かけただけ美味しさが増すものである。(青豆ポタージュ)

 一見何も手を加えていないように見えても、収穫までに手が掛かっていたり、獲り入れるのに危険が伴っていたりするものである。豆の取り入れから調理まで大いに手間暇かけた割には、見た目はスープ皿一枚である。でも旨かった。

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