安部総理は「テロ対策特措法の更新:インド洋給油の継続」という国際公約に足元をすくわれて辞任したと云える。彼の国際公約が実現できそうにもなくなって辞任したと云えるのであるが、このような表現は正しいのだろうか。
安部総理は「テロ対策特措法の更新」を国際公約と云う。でもよくよく考えてみれば、特措法更新は本当に国際公約だと云えるのであろうか。確かに彼は日本国総理大臣である。日本国総理が米国大統領や豪州首相に約束したことは、公人として重い約束である。でも彼の約束は日本国の約束ではない。日本国総理としての約束には違いないが、彼は直前の参議院選挙で敗北したのであり、その選挙の勝利者は「特措法更新」を否定しているという事実がある。
つまり彼の(日本国総理の)約束は、国会で承認されて初めて国際公約となるのである。すなわち、現時点での日本国の国際公約は、「現在施行中であるテロ対策特措法に基づいて、10月末までは給油を実施します。」という約束以上でも以下でもないのである。その後は、参議院選挙を経て、新しい民意を反映する日本の国会がこれから決めるのである。
別の表現をしよう。彼:安部総理はこう表現すべきなのである。
「私は衆議院で過半数の支持を得ているが参議院では過半数を持たない日本国総理として、米国大統領や豪州首相にテロ対策特措法更新を約束してきました。ですから議会は私の約束の実現を支持して下さい。」
実に奇妙なことであるのが、理解できるであろうか。彼は米国大統領にこう云うべきだったのではなかろうか。「特措法更新に向けて努力する。努力はするが、実現は極めて困難である。なぜなら民意は更新にはないからである。」
こういうことなのである。総理が海外で何かを約束してきた結果、「私の約束は国際公約だから、認めて欲しい。」と云い。それを議会が唯々諾々と認めることは民主主義の否定なのである。安部総理の約束は議会で承認されて初めて国際公約となるものであり、議会の承認を得るまでは、「承認するように議会を説得します。」という筋合いのものである。総理の約束、即国際公約となるのであれば、総理は独裁者となる。条約の締結権は時の政府にあるが(憲法73条)、その発効は議会の承認を経てからなのである。
安部総理は公人としての約束を「日本国の国際公約」と表現し、民主主義と憲法を事実上否定したことにより、足元をすくわれ辞任せざるをえなかったのである。現行憲法を正しく理解していない彼が主張する戦後レジューム脱却や憲法改正の本質は、戦後民主主義の否定にあると云えば、言い過ぎだろうか。
白川勝彦氏の「永田町徒然草:泥船はやはり沈んだ」に注目するのである。
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