田翁孤り嘯く

鄙里の雑木林が笑う季節になった。”山わらう”は春の季語である。郭熙の画論『臥遊録』の「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」に拠るとされている。鄙里の雑木林もこの季節には笑うのである。

「鄙からの発信」アーカイブを確認したら、2017/04/21に「柿若葉  笑う鄙里」と題して記事にしている。玄関前に立って雑木林を眺めれば、意図してこの景色を創ろうとした訳では無いけれど、期せずしてよい景色ができたと思っている。

少なからぬ庭の花木は、山の評価仕事の合間にこの手で山採りしたり、買い求めたものである。造園業者の植栽による花木にしても、この十年の間に我が手で剪定したり時に伐採したりして今の景色を設えているのである。《業者が植えた松と槇の何本かは数年前に伐採して、見通しをよくした。》

庭先の木々、枝垂れ桜、山法師、花水木、紅蘇芳、金木犀、満作、石楠花、三葉躑躅、椿など皆我が手で植え、剪定してきたものばかりである。雑木林のメタセコイア、ケヤキ、カエデ、イチョウ、ナンキンハゼなども我が手でこの四十年ほどのあいだに植えたものが今や大きく育った。《正面に植えてあった杉と桧は一昨年に伐採した。》

当初からこの景色を描いていた訳では無いが、今眺めてみれば佳い景色になったなと思っている。もうすぐに手前のヒラドツツジが咲くだろう。次いでサツキにボタン、シャクヤク、ヤマブキも咲くことであろう。所詮、自画自賛・自庭自賛である。訪ずれる人も稀な我が身だけの庭と雑木林である。田翁孤り嘯くのである。

季節の巡るあいだに、カエデ、イチョウ、メタセコイアの淡冶な浅緑色は、深みを加えた滴る蒼翠色へと変わってゆくのである。いずれ赤く黄色く粧い、そしてその葉を落として静かに眠る季節を迎えるのである。そのうつろいを毎朝毎夕に眺めている茫猿が此処にいる。まだ八重桜が咲き残る鄙里の朝景色である。佳き哉善き哉なのである。

今週は長女の44回目の命日が巡ってくる。庭先の著莪と畑のまだ若い矢車草だけでは佳いお供えができないから、花屋で薔薇や霞草を買い求めたら「お墓にバラなんて」と家人にたしなめられた。それでも茫猿は我意をとおして、彼女には薔薇が似合うと思うから、今はこの花をお供えするが、命日には君の好きなように供え直したら宜しいでしょうと言うのである。

供花を持って墓に行くと墓碑の周りに少しばかり草が生えている。手で抜こうとしたけれど根が深くて引きちぎることになりそうである。家に戻って草抜きの道具を持ち帰り墓碑の周りを綺麗にする。若い時なら見過ごしたであろうことを丁寧にできる歳と立ち位置になったのだと独り苦笑する。

生きていたらイイオバサンになっているだろうなどと、埒も無いことを考えながら早朝の墓にお参りするのである。七十五のジサマが幼くして逝った娘の墓参りなのである。高野山でも父母と娘の菩提を願ったが、今朝も御先祖様の一人となった娘に挨拶するのである。
娘・亜希子のこと

《追記:今夜の食卓》
昨年の04/21 筍食卓を「柿若葉、わらう鄙里」記事に記している。月日巡って今夜も筍食卓である。昨年と異なって、今年の筍は表の年で豊作でありしかも例年より出荷が早い。今年は家人が普通に買い求め調理する筍尽くしである。筍飯、筍と飛騨牛炊合せ、筍と菜花の汁、筍甘皮山椒味噌あえなどである。キヌサヤ、ナバナ、サンショはもちろん自前である。

 

 

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