梅香のもと鍬を振る

春到来を思わせる陽射しのしたで鍬を振っている。もうすぐ種を播いたり種芋を植え付けたりする準備として、春耕した畑の畝立てである。鍬を振る手を休めていると、風に乗って梅が香りが漂わせてくる。梅香のもとに鍬を振るとは、なんと云う贅沢だろうと、ふと思う。

眺めてみれば畑はきれいに耕されており、耕されていない場所もキヌサヤやナバナが白い不織布のトンネルの下で育っている。黒いマルチシートに開けた穴のなかではタマネギが伸びている。梅も柿も剪定が施されている。雑木林に目をやれば、下枝は切り払われ下草は刈り取られ、それなりに整えられている。耕された畑を見下ろす枝には、いつものように百舌鳥が掘り出された虫を狙ってやってきている。

なんの変哲も無い鄙びた風景なのだが、実に好い景色だなと思える。父母に今の景色を見て欲しいなと思うけれど、ふた親が生きてた頃、つまり自分が現役だった頃にはここまで整ってはいなかったと自画自賛している自分を恥じらう。

伊吹山には雪が多くあるし、朝は霜が深く風はまだ冷たい。でも陽射しは春のものだし、桜木の枝先は花芽が膨らんでいる。寒さに慣れたからだには、このわずかな兆しがとても暖かいものに思われる。

今朝はまだ蕾だったはずの福寿草が咲いた。昨秋に陽当たりが良くて寒風が当たらない場所に植え替えた福寿草である。植え替え時期が少し遅かったから今年の開花も遅かったが、来春はもう少し早くに咲くだろう。開花時期が遅くなったせいであろうか、いささか間延びした福寿草の花であるが、時ならぬ植え替えに無事に耐えてくれたのだと安心する。

寒の内は地中に置き留めて甘味を増した大根と人参を、春耕の前、花芽が出る前に掘り起こして切り干し大根と人参を作る。ザルに干した大根や人参をつまみ食いしてみれば、とても甘い。このままサラダやオヤツにできそうな甘さである。いよいよ三月、畑仕事に日々精出す季節がやってくる。紅白の切り干しである。なんと云うこともないザル二つであるが、並べてみれば紅白なのである。梅の香りをきいて感じた幸せを祝うような紅白なのである。

《03/05追記》
出来上がった紅白切り干しを炊き合わせにした。合わせる具材は油揚げやスルメでなく、初回のことだから贅沢にホタテ貝柱を使う。口に入れた家人と顔を合わせて美味いねと微笑む。ささやかながら、残日録の幸福ならぬ口福である。

「鄙からの発信」掲載記事はすでに2950号を過ぎている。1999年1月に開設して以来19年、20年までには3000号に到達しそうである。だからどうだと云うこともないけれど、20年3000号まで書き連ねることができれば、秘かに祝ってやりたい気分がある。駄文の垂れ流しであったとしても、二十年三千号なのだ。そこでもう一つ紅白である。白梅だが花萼が赤色なのである。

特に何も記すことなく過ごしたが、先日74歳を迎えた。家人が何処かで食事でもと言うけれど、アルコールの無い晩餐は味気ないし、アルコールを飲めば帰りの運転ができなくなる。そこで近在では一番旨そうな店のケーキを買ってきて、二人で食する。飲み物はネスレ ドルチェ グストでいれたカフェオレである。ささやかすぎる74歳のバースデイであるけれど、七十五歳には節目だから何処か旅先にてと考えている。一年先のことなどわかりもしない齢になっているのに、何をと苦笑する。

月が変われば、近畿鑑定士会主催のセミナーを覗き、もうしばらくで三年になる博一の墓参をし、今月半ばに心臓の手術をした旧友を見舞う予定である。友の墓参ができる我であり、友の見舞いができる我なのだと改めてもの思う春の宵である。

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