野分の後始末といっても、H30.7豪雨被災地のような大変なものではない。08/23深更に徳島・淡路・神戸を駆け抜けていった台風20号が、当地にも残していった多少の風被害の後始末である。
一応の顛末を記しておけば、(一)サンシュユが倒れたので、枝を切り払って小さくして引き起こし、支えナワを張った。(二)土手の桜が枝を折って川に垂れたので、川の上にハシゴをかけて枝を切り落とした。(三)ササゲの支柱が倒れたので起こした。(四)池の水が抜けた。これは台風のセイでは無く、モグラ穴のセイと思われる。
(一)から(三)までは後始末をしたけれど、(四)はそのまま放置しておく、モグラ穴を探し埋め戻す作業を行うモチベーションも気力も体力も失せている。かつて緋鯉を三度も放流した池は、今や野池から枯れ池に変じて放置される。サンシュユや桜の後始末だって、いずれは折れたり倒れたりすれば、そのままに放置する時がやって来るであろうと思われる。その時に我は如何なる状態で、それを眺めているのか眺めることすらできなくなっているのかと考えさせられる。
何はともあれ今はまだ、川の上にハシゴをかけて、枯れ枝を切り落とし、その枝を撤収する体力と気力が残されている。まだまだ元気な爺様(じさま)というわけである。もうすぐ八月も終わるが、九月の半ばお彼岸の入りまでに土手の草を刈らねばと考えている。早過ぎると草が伸びて来るし、遅過ぎると彼岸花・曼珠沙華の花芽を刈り取ってしまう。ベストタイムは09/10であろう。
岐阜県不動産鑑定士協会から、県部会創立40年、社団法人化25年の記念行事ならびに記念式典への案内状が届いた。5名の功労者表彰のうちに入れられているとのことである。この種のものは好きではないが、今や大人しく頂いておくとしよう。
記念行事は「地理空間分析と公的評価」と題する研究発表である。詳細は以下に添付する案内状(PDF)による。「 20180824shikyoukai 」
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