野分過ぎて

 台風19号(国際名ハギビス)、一時期の中心気圧は915hpa、最大風速55m/s、そのまま上陸したらどうなることかと思わされた超大型台風であったけれど、伊豆半島に上陸するころには950hpaへと勢力を弱め、テレビが「記録的な暴風と大雨が予想される」と繰り返したわりには、台風の西に位置した当地ではさほどの被害なく、今朝には三陸沖の海上へ台風は過ぎ去った。(2019.10.13  06:00)

 とはいえ、首都圏では箱根など各地で記録的な豪雨が相次ぎ、新幹線JR各線をはじめ鉄道網は10/12全日運休し、多摩川が氾濫するなど相当の被害が発生した模様である。

《10.16 6:10追記 自民党二階幹事長が13日の役員会で、台風被害は”まずまずに収まった感じ”と述べたと報道され批判されているが、13日朝の段階で情報不足であれば”やむを得ないな”と同情もされよう。でも与党責任者としては不用意な発言であろう。》

 長野県では千曲川が随所で堤防決壊しているようである。SNSが伝えるところでは、千曲川を渡る上田電鉄別所線の鉄橋が崩落したとのことである。他にも各地で河川氾濫被害が発生しているようである。

《別所線の終点、別所温泉には2004年秋に家族と訪れた。このサイトの”蓋”シリーズの最初は別所温泉の”岳の幟”なのである。この記事を記し始めた13日の早朝では、北関東及び南東北の被害状況は報道されていなかった。SNSで千曲川の氾濫を知ったのは夕方のことだった。大被害を知るのは14日になってからのことである。(10.16  05:20追記)》

《13日夕刻になって、東日本各地の被害状況がネット上で判ってきた。栃木県、茨城県、長野県などなど各地で浸水被害が相次いでいる。47河川 66個所で堤防が壊れる「決壊」が発生し、16都県181の河川で水が堤防を乗り越える「越水」などが発生し、氾濫が確認された。(10/15  19:00 確認追記)

 東日本は大災害だ。堤防決壊もさることながら、堤防越水が多発していることが注目される。阿武隈川、信濃川、広瀬川、都幾川(ときがわ、埼玉県)、多摩川、千曲川、狩野川などなどの名だたる一級河川が堤防越水を起こしている。それだけ想定される洪水流量を上回る短時間降雨量があったということだ。埼玉県川口市と東京都北区の境を流れる荒川も一時は氾濫危険水位に達していたようである。(全国の台風19号関連死者は80名  行方不明者は11名に達した。唯、合掌 )

 これをそのまま当地に置き換えれば、揖斐川や長良川が今や異常とは言えなくなった大型台風による豪雨で、計画流量を超える洪水量が堤防を越水することから破堤決壊に至るということである。当地で破堤浸水すれば一階部分の完全水没は免れ得ず、しかも流れ込んだ濁流は少なくとも十日、状況によっては一月近く湛水状態が続くことであろう。

 海抜ゼロメートル地帯の宿命といえるが、後期高齢者の身にしてみれば、抗えない地球温暖化の結末であり、今や南無三ということである。》

 話をもとに戻して、今朝の鄙里は野分一過、雲ひとつ無い蒼天である。風にのって金木犀の香りが来る。見上げれば花が開き始めている。野分去り 蒼天に香る 金木犀
野分けゆき 蒼空高く 柿紅く(あかく)
ツマンネエー 躁転恥じる 駄句ダコト。つまらないなら削除すれば済むことだが、写真をサクッと説明できる五七五にまさるものが無いから、削らずに残しておく。

 今日は先日ネットで注文して届けられた、宮城野萩の赤と白合計十株を植え付ける予定である。先日来、話題にしている西江川沿いの土手修景作業である。春は水仙に雪柳、初夏の紫陽花そして初秋の宮城野萩が紅白に咲き揃うのは二年後か三年後かそれとも五年後か、茫猿がそれらの花々に無事に迎えられる保証など何処にも無いにしても、先のことなど難不難ともに計り知れないからこそ楽しみである。

 萩が定着した三年後か五年後には株分けしてさらに彩りを増やそう。今は畑に株分けして養生してある紫陽花苗もその頃には定植済みのことだろう。土手の彩りが「鄙からの発信」の記事を飾るのはいつのことやら。

 鄙桜守り(まもり)に加えて西江川、中江川の修景が茫猿にしてみれば『老いの楽しみ』になった。せめて八十までは動力鎌を振るって、手鎌に腰鋸剪定鋏でもって土手の景色を整え、道ゆく人たちの目を和ませたいものである。先ずは来春、来夏そして来秋に、(わずかながら)どんな景色を見せてくれるか楽しみなことである。

 これから地域の縁者の葬式(10:00開式)に出かける。その身支度を整えながら、ふと思った。今の茫猿にとって社会とか世の中というものは、この出かける葬儀の集まりだけなのだ。《この項、帰ってから詳しく書こう。》

 つまり、白いシャツを着てネクタイを締めスーツに黒の革靴などという出で立ちで出掛けることなどは、葬式以外には久しく絶えて無いのである。だから茫猿にとって関わる社会は今や葬式付き合いが殆どなのである。考えてみれば狭くなったものだ。

 出向く葬儀で故人の没年齢が茫猿の実年齢に近くなり、時に追い越していることもあれば、自身の法名などを考えてみることもある。それでも此の身は祭壇の彼方 彼岸にではなく、此岸にまだ居て土手の景色を整えている。《先ほど葬儀を終えて戻ってから、10本の萩の苗を植え終わった。今日の作業は此処まで。》

《翌朝に追記》今朝は金木犀の香りが高いなと思っていたら、先ほどから雨になった(9:50)。雨が降りそうな重い曇り空の下では、香りは木の周りに垂れ込めるのだろうか。

 台風19号被災の全貌が次第に明らかになりつつある。福島などを中心に90名に近い死者行方不明者が発生している。痛ましいことではあるが、数字で示される死者は他者にとっては顔のない塊(かたまり)である。何十人であろうと、神戸震災のように何千人であろうと、東北大震災のように何万人であろうと、他者にとっては顔の見えない数字である。

 どれだけ痛ましく思っても日々積み重なってゆく病死者数、交通事故死者数、世界に目を転じれば意識すらしない戦病死者数、テロ死者数等々、いずれも数字で示される塊にすぎない。 でも一人一人の死者の影に連なる家族や縁者にしてみれば、かけがえのない唯一の人の死なのである。情報というものは四捨五入される。数字的にもまして一人一人の詳細や歴史や事情などが四捨五入されてしまう。そこに思いを寄せてニュースの数字を見る。

 

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