鑑定評価額(正常価格)はザインかゾルレンかという論争が鑑定界で聞かれなくなって久しい。いや今でも新進鑑定士達の世界や斯界の片隅では語られているのだろうか。私が鑑定界に足を踏み入れたのは69年の春の頃であった。年齢は24才になったばかりでした。その頃の二次試験勉強会でも、鑑定士の集まりでも(片隅で聞いていた)、不動産鑑定誌なんかにも「ザインかゾルレンか」が話題になっていたと記憶します。
ザイン(ドイツSein) 哲学で、存在。有(う)。
ゾルレン(ドイツSollen、ゾレン〉哲学で、道徳的に、あるいは広く実践的に、かくあるべきこと、または、かくなすべきこと。当為。 Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban(Revised edition) Shogakukan 1988
制度創設間もない頃で、斯界も若かったし、集う人々も若かった。不動産鑑定というものを社会に定着させるために、何よりも社会の認知を得るには鑑定士たるもの、鑑定評価たるもの、如何に在らねばならないかという、いわば青い書生論が堂々と語られていた。取引事例比較法(当時は市場資料比較法)の適用に際して、事情補正は時点修正は要因格差比較は如何に行わなければならないか。収益還元法の適用に際しても、便法的間接法から直接法への早期の移行など、多くの議論はザインかゾルレンかを基調として行われていたような記憶がある。
その後30年、地価も所得も右肩上がりの20年を経ている間に、業務拡大のみが至上命題となり、鑑定士所得の多寡が真っ先に話題になる時代となってしまった。鑑定士の皆が喰えるのが望ましいのは当然であるが、高額所得を指向することが主たる目標となってしまうのは如何なものだろうか。こういう話をすると、老い先短い茫猿の寝言だと云われることが多い。しかし、当時の私の所得の推移を思い出せば、新卒初任給に(一年間だけ一般就職をした)事務所の給与が追いついたのは、三次試験合格後(27才)である。同窓生の所得水準に追いついたのは、確か30才を越えてからである。時代のなせる態と云えばそれまでであるが、先に所得水準ありきで鑑定士を目指すという時代ではなかったと思うのは、ノスタルジーだろうか。
電卓がA4書籍サイズで、給与の2ヶ月半以上の値段であった時代と、事務所初任給で格安パソコンが2台も買える現在とを比較する方が無理だとは承知しています。しかし、PCでエクセルやロータスを駆使して、収益価格を自在に操ることが可能な今であればこそ、テクニカル論議と並行して根元的な議論も忘れてならないと思います。DCF法なるものの本質を語らずしてDCF法にあらざれば鑑定にあらずという風潮に疑問を持つのです。デユーデリジェンスの何たるかを論ぜずに、時代の要求に添い寝し当座の業務量が確保されればヨシとする風潮からはバブル荷担の反省や何処にと思うのです。
取引事例であれ賃貸事例であれ、評価資料がNET経由で安価に手軽に入手できる時代は進歩だとは思いますが、資料の背景を洞察する力を弱くしているのではなかろうか。資料を批判的に吟味する能力を低下させているのではなかろうかと危惧するのです。デジタル化された事例資料をNET経由で入手して評価に着手できれば便利ですし経済的にも合理的です。しかし、大きく云えば賃貸であれ取引であれ風土に根ざした資料であり、風土が産み出した資料です。地域や風土を見ずしてデジタル化された資料を利用することの危うさを思うのです。
可能な限りの日時を充てて、評価対象地や事例地の周辺を徒歩でじっくり観察するという評価姿勢が求められるのではなかろうか。そのような姿勢のなかでは地元の鑑定士との協業の在り方も今とは形を変えざるをえないものとなるであろう。鑑定士であれば、全国何処でも評価はできる。少なくともできるという自負心は必要でしょう。が、しかし、関わりの乏しい土地や初めて訪れる土地に於いては、謙虚さと慎重さが求められるのではなかろうか。他者の手になるデータが容易に入手でき、その上に評価を築くと云うことは危ういと考える姿勢こそが、望ましい評価を築き上げ得ると思うのですが。 【この項続く】
日本不動産鑑定協会の初代会長であり、鑑定評価基準の総論「基本的考察」の起草者でもある櫛田光男氏の著書、「不動産の鑑定評価に関する基本的考察」住宅新報社刊が絶版になって久しいと聞きます。この名著の復刻を求める運動を行いませんか。鑑定協会の手によって、この本を復刻し新しい会員には無償で配布する事業を提案しようと考えます。時代の変遷のなかで鑑定評価基準も変わらざるを得ない部分があると思います。しかし、どのように世の中が変わろうとも変わってはならないものも在ります。「不動産の鑑定評価に関する基本的考察」は、その一つであろうと思います。そして、この名著を絶版にしたままに放置する我々の姿勢こそが問われているのだと思いますが、如何でしょうか。
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