社会の視線

 先日、某ML(メーリングリスト)に朝日新聞「論壇・適正な評価システムを」と題する記事についての投稿がございました。投稿者は記事要約を示した上で、次のように申されています。

 論壇記事に対するMLでの反応がありませんが、「バカバカしくて・・・」とか「批判する気も起きない」ということで目に見える反応がないのか、ただ読んでいないだけなのかは、わかりません。
 僕自身は、業界を擁護する形で反論する気は毛頭ないのですが、言われッ放しも癪に障るなー、という感じです。(投稿者M.K氏)

 茫猿自身はこの朝日新聞記事を見落としていましたので、昨年の古新聞の山を探して、該当の記事を改めて読んでみました。 記事掲載紙は00.12.20付け朝日新聞朝刊で、投稿者は下記の方です。 福井康子氏・都市経済研究所主任研究員・福岡大学講師(地域経済論)
論壇記事要約
 

「日本企業の多くが苦しんでいる平成不況の根底には、バブル崩壊に伴う不動産価格下落による不良債権がある。」
 「そもそも、不動産デフレの最大の原因は、バブル期の高すぎた不動産価格評価にあったといえる。バブル期の高い担保評価額の多くは、国土法監視区域制度における取引届出価格も含めて、不動産鑑定評価に基づいて設定されたものである」と論者は述べる。
 「そして、それらの価格設定が正常でなかったことは、現在では、素人にも想像がつく。日本のバブルは、不動産鑑定士のお墨付きによって支えられたと云っても言い過ぎではない。そういう価格を鑑定した責任は今、どうなっているのか」と論者は糾している。
 更に続けて、「米国のバブル処理に比較して、バブル崩壊後に日本の不動産価格体系が適正化されているという実感はなく、むしろ混乱を極めている印象が強い」と述べる。
 また論者は鑑定評価手法にふれて、 「本来、不動産の適正な評価額は、上がりすぎ下がりすぎになりがちな取引価格と、どれだけ収益を生むかという点から求める安定的な収益還元価格の二つのバランスで決まるべきものだ。ところが、日本の不動産鑑定は長く収益還元価格を軽視し、バブル期、収益性からかけはなれたいわばインフレ評価額を量産し続けたのである」と指弾する。

 そして、不動産鑑定の抱える問題点を次のように指摘する。

 論者は、「日本の不動産鑑定業界は「士業」にしては個々の鑑定士の
独立性が低い」とみており、 「自分たちが異常な高値をつけて不良債権化した物件を、同じ鑑定士が再び担当している」と云う。
 それらの分析の上で、論者は二つの提言をしている。
・まず、鑑定という重要な経済判断を担う以上、罰則を含め、鑑定士法・の創設が急務であると述べ、
・もう一つは、市場原理の導入と評価の適正化のために必要な不動産情・報の公開である。具体的には、不動産の賃料と売買価格、成果物とし・ての鑑定評価書が考えられる。・・・・と述べる。
(記事要約終了)

 論旨の細部をみれば、事実認識に異論が幾つかあります。
特に、鑑定士の独立性認識や、バブル期に高値評価を行った鑑定士が、不良債権化した同じ物件を再び評価担当しているという記述には、個々の鑑定士と鑑定業者の混同や事実誤認もあり、異論反論があります。
 しかし、一般社会に、そのような視線が存在することは事実でしょうし、誤解を招きかねない「業界の在り様」が存在することも否めないことと、茫猿は考えます。
「バカバカシクテ、反論する気もない。」などと、切り捨てたり無視したりする態度は、謙虚さにかけるものであり妥当なものとは考えません。
 それよりも、そういった社会の批判や、時には誤解に対しても、一つ一つ誠実に応えてゆくことが専門職業家としての「説明義務」を果たす
ことと考えます。
 勿論、実態論から云えば、この数年間一般マスコミに溢れる不動産鑑定への批判的記事や論調に一つ一つ応えてゆくことは、結構骨のおれる作業であると同時に、批判的記事に対する回答的投稿が直ちに取り上げられる保証もありません。
 マスコミ側に取捨選択権があり、ニュースバリューがないと判断されれば、紙面に取り上げられることもないでしょう。でも、反省であれ、釈明であれ、反論であれ、批判される側が沈黙を守り通すことは美徳ではなく怠惰ととられたり、時には反論の余地がなく事実と認めたと受け取られる場合すらあります。
 さて、論壇投稿氏が提言している不動産鑑定士法の制定は、鑑定業界の永年の悲願であります。しかし、『鄙からの発信』においても幾度かふれているように、鑑定士制度創設以来の経緯や大手上場企業鑑定事務所と零細個人鑑定事務所が、時には利害を対立させながらも混在(共存)してきたという現実が立ちはだかっており、本来の鑑定士法の制定には難問山積が実情です。
 同じく、情報公開についても、鑑定士側の問題と云うよりは、取引情報や賃貸情報については社会(外部環境)の問題であったり、守秘義務を課せられている鑑定評価書については、評価書を受け取った側の問題であったりする部分が多いといえるものでありますが、今の鑑定業界が情報公開に対して積極的であるとはみえません。
 しかし翻ってみればバブル期において、鑑定士が活況を呈したのは事実であり、当時の評価作業を通じての結果として、価格高騰に荷担した責任の一端は否定できないと考えます。
 少なくとも高騰する地価或いは不動産市場の勢いに抗しきれなかったのは事実でしょう。永遠に上昇し続ける価格など存在し得ないと云う、経済学の公理を忘れていた、あるいは意図的でないにしても見落としていたことも歴史的事実として受けとめねばならないと考えます。 その意味からは、永遠に下がり続ける価格もまたあり得ないと云うことに思いを致すべき時期にあると考えます。
 決して、世間の流れに右顧左眄するという意味ではなく、自主自尊を維持しながらも、我々鑑定業界人を除いた一般社会が、鑑定業界をどのように観ているのかという視点が必要なのだと考えます。 自動車リコール騒ぎも牛乳汚染騒ぎも、業界論理や社内論理を優先した結果なのだということであり、我々鑑定業界人も他者に対してはその視点を有していながら、自己に対しては欠落させているという、ある種の自家撞着を茫猿は感じています。
 今、鑑定業界や鑑定協会で起きつつある内部改革を更に前進させることにより、論壇・福井氏をはじめとする様々な批判に答えなければならないと考えます。(茫猿は、自由な責任のない立場だからきれい事がいえるのだという、業界内からのご批判の多いことを承知してます。)
1.着手した鑑定評価基準改訂作業を充実し、社会の要請に的確に応え得る新基準を制定すること。特に不動産が内在させている「非流動性リスク 、経済変動リスク 、個別のビジネスリスク」について、専門家としての説明義務を全うする評価書を作成することが求められていると思います。
2.収益還元法ほかの評価手法をさらに充実すると同時に、取引情報・鑑定情報・賃料インデックス等の各種不動産情報を一般公開する努力を重ねること。他にも、インターネットを利用した情報公開の拡充と外部発信情報の充実、また各種業際分野との協調等についても努力しなければならないでしょう。
3.専門家として、鑑定評価依頼件数や報酬の増加を願うだけでなく、専門職業家の義務として、社会へいかなる貢献ができるかを常に意識すべきでしょう。同時に鑑定士研修制度の充実、や常設研究機関の充実に努めなければならないでしょう。
 地価問題に対して鑑定業界は本当に無罪だったのか、社会から専門家たる地位を授与されていながら、社会に対して専門職業家として真の責任を果たしたのか否か、という視点こそが求められていると思います。
 バブル崩壊後、10年余が過ぎて、その間に鑑定士或いは鑑定業界は何を為してきたのかという反省こそが、今は大事なことと思います。
「失われてしまった十年」という言葉には鑑定士自身が負うべき責任についての自覚のなさが表れており、本来は「我々鑑定士自身が失ってしまった十年」というべきだと考えます。

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