毎年々々、この時期になると似たようなことを考えるものである。
二、三日前から年末の御挨拶原稿を用意し始めていて、ふと気付いた。
この文章は前にも書いたことがある。
改めて、去年、一昨年と過去のLOGを調べてみたら、やはり同じようなことを書いている。『というか、タイプしているのである。』
とはいうものの、折角の原稿だであることだし、
年々歳々花相似たり、年々歳々人同じからず とも云うことだから
取り敢えずは、用意した原稿をならべるというのも加齢の物臭か。
【お歳暮について】
一時に較べれば随分と減ったのであるが、少しはお歳暮と称するものが到来する。二年ほど前に、断り状を出したり返送したりして減らしたものであるが、まだ僅かだが届けられる。
それはそれで有り難いことだと感謝しなければいけないのだろうが、
到来件数が減れば減ったで尚更のこと、貰いっぱなしと云う訳にはゆかない。
礼状を書く、返礼の品を見繕って送る。
ただ送るのは意に染まないから、送る理(ことわり)を葉書に書いて出す。
この一連の作業が何とも面倒である。加齢からくる物臭(ものぐさ)症状の進行なのだろうが、ひたすら喜んでいるだけの家人を眺めると腹が立つときもある。
此の暮れは送り状に添えて、こんなことを書いてみた。
『歳末、繁忙をお見舞い申し上げます。
忙という字は、立心偏に亡くすと書きます。心を亡くすです。
多忙に紛れて、心を亡くすことなく。
忙中閑有、有楽遊心にて佳き新年をお迎え下さい。 茫猿敬白』
忙中閑有・・・忙中にこそ閑を見つけ
有楽遊心・・・心遊ばせれば楽しみ有り と云うような意味でしょうか。
【サイトの来し方行く末】
さて、人にばかり、忙中閑有りなどと云っていても仕方がない。
茫猿や如何にという訳で、『鄙からの発信』の来し方を振り返ってみた。
01/20/1999に第一号記事を発信しているから、来年は6年目に入ることになる。よくもまあ、5年もの間、駄文を弄し、虚空に吠え続けてきたものだ。
茫猿遠吠・只管打座とは云うものの、いつか書いたように、
只ひたすらグダグダ言っていただけなのかもしれない。
以下は、『鄙からの発信・茫猿遠吠』の発刊当時の1号から5号までの記事である。久しぶりに読み返してみたが、表現に多少の難は認めるものの大意については今も直すところは殆ど無い。
茫猿が5年間言い続けてきたのは一体全体何なのであろうか。
まさに虚空に吠えただけなのか、それとも大きな的外れを続けてきたのであろうか。それにしても、メルマガの読者数は大きな変化はないし、サイトへの来訪者数も目立った増減はない。【時間と伴に増えるということもないが!!】
支持されているなどと自惚れるつもりは毛頭無いが、
全く無視されている訳でも無かろうと考える。
01/20/1999 ・・PCは万能か
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_boen/newspaper.cgi?action=view&code=985097615
02/25/1999 ・・バブル荷担の反省
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_boen/newspaper.cgi?action=view&code=985097665
03/01/1999 ・・如何に応えるか
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_boen/newspaper.cgi?action=view&code=985097722
03/06/1999 ・・雨の土曜日
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_boen/newspaper.cgi?action=view&code=985097756
03/07/1999 ・・雨の日曜日
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_boen/newspaper.cgi?action=view&code=985097797
と云う訳で、本年の発信記事はこれが最後です。
読者の皆様にとって、2005年が佳き年でありますよう祈念申し上げて
本年のキータッチを終わらせて頂きます。
またの春陽にも相変わりませず、御贔屓賜りますようお願い致します。
・・・・・・さて、これからは新規の原稿です・・・・・・
【世情を憂うだけでは】
今年は、実に様々なことがあり、とても酷い年であったといえる。
度重なる台風の災害、そして新潟中越地震
各地の被災者の皆さんに、せめても暖かい正月をと、祈らずにはいられない。
イラク戦争も終結の目途が見えず、戦地でないとしても準戦地で年を越す自衛隊の皆さんが無事で過ごされることを祈りたい。
この一年で、茫猿が最も驚き、そして今を象徴すると感じた出来事がある。
マスコミなどではあまり取り上げられなかったから、知る人は少ないだろうが、 旧社会党党首で憲法学者の土井たか子氏と
自民党の強面政治家で毒饅頭や日歯一億円事件で話題の野中広務氏が
憲法九条をめぐって、対談したことである。
清潔なハト派(晩節を怪我したものの)土井氏と
ダーテイなハト派(彼は消極的護憲論者である)野中氏が対談する。
また、野中氏は昨年のイラク派兵特別措置法採決を退席した。
この両者が12/08(真珠湾攻撃の日)に「憲法行脚の会」主宰の集会で対談したのである。興味深い対談だと思うが、多くのマスコミは黙殺した。
憲法行脚の会は、落合恵子、姜尚中、佐高信、城山三郎、辛淑玉、三木睦子氏などが中心となって結成した市民グループである。
市民グループを胡散臭いと感じる人は、城山三郎氏や三木睦子氏(三木元首相夫人)の存在を通して考えてみて下さい。
野中氏に兎角の噂があるのは承知している。
でも、氏の弱者への目配りと、非戦主義は評価できるのである。
土井氏についても、お嬢さん育ちで「ヤルッキャナイ」はともかくとして、自党の足元への目配りは不足していたし、衆議院議長を経験した後で、村山総理が見事に傾けてしまった社会党党首を引き受けるべきではなかったとしても、
非戦主義を貫き通す姿勢は評価できるのである。
少なくとも、清潔なタカ派と評されるが、実際は手を汚さないだけで、祖父代々からの集金マシーンに支えられる「小泉総理」よりは評価できるのである。
自民党にハト派と称される人々が見えなくなり、二世、三世のただ粋がるだけの強面タカ派が増えていることが、とても心配です。
折しも、陸上自衛隊幹部が作ったとされる改憲草案が世上に出回ったのである。来る年には、このような物騒なものが排除されることを願いたいのである。
・詳細は「週間金曜日
http://www.kinyobi.co.jp/Recent
【止揚学園をよろしく】
止揚学園からクリスマス会のお誘い状が届きました。
しかし、25日前後は事務所を離れられないので、先日、訪問してきました。
園生の皆さんと日だまりで、お茶をしたのですが、
皆さんには、お届けしたささやかな寄付は無視されましたが、
歳末恒例のブリ(今年は時期が早くて小ブリでしたが)には、
みんなで代わる代わるトロ箱を覗いて、大はしゃぎで、
私もとても嬉しいひとときでした。
年始三が日には平安神宮や、多賀大社、お千代保稲荷などに、
職員の方が手分けして街頭募金に立たれます。
また年末休暇で、一部の職員の方は帰郷されます。
単身帰郷の方もいますが、帰る家のない園生を伴う方もおられます。
帰郷された職員の方は、全国各地の故郷で募金活動をなさると
聞いています。
ひょっとしたら、皆さんのお近くの神社などで募金されている
止揚学園の職員の方を見かけるかもしれません。
募金、啓蒙、自らの修行を兼ねての寒風の中での募金活動です。
初詣のおりに、止揚学園の皆さんを見かけられたら、
お志の募金と一緒に「一声」を、かけてあげて下さい。
『森島のホームページで学園のことは、よく知っています。』
などと会話の糸口をつけて、激励して頂ければ、若い職員の方は
喜んでくれると思います。(昨年末も似たようなことを書いていますが。)
【 笑顔の可愛い保母さんも多いですよ。 ~\(^_^)/~ 】
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