馬籠は何処へ

【只管打座・・馬籠は何処へ・・04.12.22】
 長野県山口村が越県合併問題で立ち往生している。
山口村と云っても、多くの読者はどの辺りに位置する村か理解できないであろうが、長野県の南西端、岐阜県中津川市及び恵那郡坂下町に隣接する「文豪・島崎藤村ゆかりの地であり、小説夜明け前の舞台となった中山道・馬籠宿」の所在する村と云えば、遠い記憶を思い起こされるであろうか。
 古い宿場町、街道沿いの建造物を保存伝承して村興しにつなげる事業としては全国的にも古い歴史を持つ村である。最近は北に隣接する南木曾町・妻籠宿と合わせて、毎年多くの観光客を迎えている。
 この山口村が合併をめぐって揺れている。山口村は全国でただ一つ県境を越え、岐阜県中津川市との合併を選択したのだが、ここに至って田中長野県知事による事実上の合併拒否(遅延)行動によって混乱している。
 山口村の越県合併協議は、2001年暮れから延々と進められてきたものであり、この間に2003年村長選では合併推進派候補が当選。2004.02の住民投票では、中津川市への合併賛成派が有効投票の63%を占め、住民の意向は明確に示されたはずであった。
 住民投票結果を受けて、岐阜県中津川市と長野県山口村は合併調印を終え、2005.02に、山口村が中津川市に編入することを決めており、岐阜県会は関連議案を可決し、長野県も合併への準備を進めてきたことである。
 ところが、当初は「住民の意向を尊重」としていた田中知事が、九月県会に関連議案を提出しなかったことから、山口村の混乱が始まった。
 議案が提出されなかったことで合併反対運動も再燃し、推進派の活動も相まって、村内は混乱している。
 ところで、山口村は合併を巡って悲劇の歴史を有している。
1950年代後半の「昭和の大合併」の際、現山口村の一部旧神坂村は歴史的にも地縁的にもつながりの深い岐阜県との合併を目指したが、この越県合併は長野県議会に否決され、旧神坂村は分村を余儀なくされ、馬籠地区を含む北部が山口村と合併し、南部神坂地区他は岐阜県中津川市と合併した。
 村では合併の賛否をめぐる激しい衝突が起こり、狭い道路を挟んで村が分断されたことから住民感情のもつれが残ってしまった。
 特に学童が越県通学をするなど、茫猿も当時の激しく揺れる村の状況を伝える新聞記事の記憶が残っている。
 田中長野県知事の云うところの「長野県民の自治」と「山口村の自治」とがせめぎ合っていると云えば、よいのであろうか。
しかし、県知事の行政指針の在り方には疑問が残るのである。
この問題は何も2004.09に急に沸き起こった問題ではない。問題発生より既に二年余の時間が経過し、村長選挙と住民投票によって民意は示されているのであり、その間に長野県知事は合併に対する賛否の態度を明確にしてこなかった。
 「脱ダム宣言」で華々しく登場した田中知事であるが、以後はあまり芳しい話を聞かない。「パフォーマンス過剰」「ダム工事停止後の代替案無し」「議会と没交渉のあまり妥協がない」等々である。
 今また、小説家田中康夫としては「文豪島崎藤村の里・木曽路馬籠」という感情的な判断で合併申請に待ったを掛けたと受け取られても仕方のない「パフォーマンス」を演じているのではないか。
 田中知事が述べるように「少数派擁護」と云えば聞こえは佳いのだが、多数決原理や、妥協が必要な民主主義原理はどうなるのであろうか。
迷惑するのは山口村民であり、特に来春以降、何処に通学したらよいのかと戸惑う山口村小中学生ではなかろうか。
速やかに結論を出して欲しいものである。
 読者の皆さんは、以下に引用する田中知事の所信表明と山口村サイトの主張とを読み比べて、如何様に判断されるであろうか。
『田中長野県知事の所信』(長野県サイトより引用する)
平成16年12月県議会定例会における知事議案説明要旨
http://www.pref.nagano.jp/hisyo/speech/gikai412.htm
 私は、山口村の「越県合併」に関する対応に関し、徹夜で今朝方まで悩み、考え続けました。恥を忍んで吐露すれば、多くの担当職員への迷惑も顧みず、この提案説明も午前8時過ぎに脱稿したところです。
 長野県知事としての私には、たとえ、それが相対的には少数者であろうとも、長野県民であり続けたいと願う方々を護(まも)らねばならぬ責務があります。
国家が、パスポートを保有する自国民に対して、その保護を約束しているように。
 集落が、そこに暮らす人々を中心として構成されるコモンズであるように、長野県もまた、自律する信州としての統一性を目指すコモンズであります。
全国4番目の広さを有する県土の、何(いず)れの地で生活する方々も、誠実で勤勉で向上心に溢(あふ)れる、誇るべき県民であります。
そのコモンズの未来は、構成員全員の意思を踏まえて決定されねばなりません。
県境や山間の地で郷土を守って暮らし、引き続き本県民でありたいと願う方々を失うことは、信州が信濃が、長野県でなくなってしまうことへと繋(つな)がりかねません。
 私は悩み抜いた末、山口村の方々のみならず、すべての県境の地で、今、この瞬間も働き、学び、暮らす県民の皆様に対し、一緒に歩みましょう、一緒に踏ん張りましょう、と申し上げたく思います。
同じく長野県を愛し、その長野県を繁栄させるために車の両輪として今日、ここに相集いました県議会の皆様と、この点に関し、腹蔵無き議論を闘わせていただきたく存じます。
『山口村サイト・越県合併について』(引用です)
http://www.takenet.or.jp/~vil_yama/gappei/new/
 山口村では、平成13年5月に庁内合併研究会を発足させて以来、地域の将来のあり方を住民の皆さんと慎重に検討を行ってきました。その結果、今年2月22日に実施しました越県合併の賛否を問う「投票方式による村民意向調査」において、「賛成」が62.7%と「反対」の37.3%を大きく上回り、中津川市との越県合併が村民の意思と確認されたところです。
 この村民の意思に沿い越県合併がなされた場合、この山口村は現在の行政区域としては岐阜県中津川市となりますが、それにより過去の行政区域まで変更となるものではありません。信濃の国(信州)馬籠は将来にわたって信濃の国(信州)馬籠であり続けるわけですので、今後の地域づくりに当たっても、信濃の国(信州)の一員であるという誇りを胸に、住民がより一層誇りと愛着を持てる地域をつくっていきたいと思います。
以下の資料は、山口村の現状、これまでの経過等をまとめたものですので、ご覧いただき、山口村の越県合併にご理解とご協力をお願い申し上げます。
1 山口村の現状 
(1)面積     24.67k㎡
(2)人口     2,054人(世帯数646)  【H16.3.31現在】
(3)財政力指数  0.162 (県町村平均0.315) 【H15年度】
(4)位置     中津川市役所まで15分(15㎞)
木曽合同庁舎まで50分(45㎞)
(5)ごみ処理 中津川市・恵那郡北部町村と共同処理
(6)し尿処理  恵那郡北部町村に委託
(7)病院 坂下町立病院に負担金を支出
(8)通勤場所  通勤者の55%が中津川市に通勤
(9)通学場所  通学者の46%が中津川市・坂下町に通学
『長野日報・合併関連』
http://www.nagano-np.co.jp/minikikaku/yamaguti.html
『信濃毎日・合併関連』
http://www.shinmai.co.jp/gappei/

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