親馬鹿の背中

【只管打座:親馬鹿の背中:初出99.03.21】
 ・・・というタイトルでものを書く人のほとんどは、「最近親父の背中が小さくなっていく。たまらなくせつない」という演歌調のエッセイくずれをまとめるものと相場が決まっているのだが、くやしいかな我が親父どのはまだ背が曲がる齢でもなく、それどころか腹の贅肉は成長期真っ盛りである。「背中が小さくなった・・・よよ(泣)」というメロドラマを書くのは15年後の楽しみにとっておくことにして、とりあえずは過去、および現況の背中について書こうと思う。
『この記事は表題の時期、このサイトを立ち上げた7年近く前に当時二十を少し過ぎた息子が寄稿してくれた記事である。今回サイトをリニューアルするに際してお蔵入りにするには少し惜しいので、臆面もなく掲載するのである。原題は「親父の背中」であるが、したがって「親馬鹿の背中」である。言い忘れたけど、サイトのリニューアルはこの身内の手によるモノである。』


 小さい頃、よく連れだって街に出かけていたものだ。「父と子のおさんぽ」というのは、たいがい「少し背をかがめて幼子の手をひっぱり、ゆっくりと歩いていく」情景になるものなのだけれど、私の記憶にあるのはいつも父の背中を見ていたことだけだ。
 手をつないで歩くというまねはせず、雑踏の中でも自分のペースで歩いていた父の背中。子供の私にしてみればそれは早足にしか見えないスピードで、いつも見失わないように追いかけるばかりだった。たまに足がもつれて、転んだりもした。それでもちらと振り返るくらいがほとんどで、おかげで迷子になることもしばしばだった。
 いつだったか、家族で山登りをしたことがある。
「山を登るときは、一番先頭を歩くのは、一番力がある人間でないといけない。一番後ろには、二番目に力がある人間がつくものなんだ」と父は言い、先頭を当然のように登っていった。長男の私は、子供とはいえ一番後ろを任される。さすがに山の中では独り先に進んでいってしまうこともなく、登りやすい道筋を探して岩をよじ登る父の背中を見続けることができた。
 大学に入り、下宿に引っ越すときに父が荷運びの手伝いをしてくれた。とりあえずの生活用具を並べ、では、と帰る際に、父が玄関で振り向き、
 「とりあえずないと困るだろう」
 と、スーパーの袋を手渡してくれた。中を見てみると、ドライバーが何本か入った小さな工具セットだった。
 覗き込んでいるうちに「まあ、しっかりやれ」と言い残して父はドアを閉めて帰っていった。顔を上げたときには、閉まるドア越しにちらりと背中が見えただけだった。ちなみに、その工具セットは今にいたるまで重宝している。
 いつも背中を見ていた記憶がある。そのせいか、散歩の途中に横から「あれ買って」とおねだりをした覚えもなく、正面 から抱きついていったこともないような気がする。いまだに見えるのは背中だけで、いつかは追い越しざまに後ろを振り返るのかもしれないが、まだ想像できない。背中を見て歩くばかりだったし、その背中こそが、言葉のあやではなく私にとっての父だった。
 そろそろ横に並んで歩いてみたい。と、思うときもある。
 今度会ったら、久しぶりに散歩に誘ってみよう。横顔を見ながらどんな会話を交わすのか、よく考えたらまだ知らない父の姿だ。

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