千糸の髪

 鑑定協会の選挙はどうやら無風にて終わったようだ。理事中部区は樹下健志元岐阜県士協会会長の無投票当選が決し、副会長東日本選挙区も無投票で愛知会出身の小川隆文氏の当選が決したようである。課題山積の折柄、各位のますますのご活躍を鄙より祈念申し上げます。 さてこのところは、また松岡正剛の「千夜千冊」にはまっている。千夜千冊・遊蕩編である。


 昨年秋に全国の高校で世界史など必修科目の未履修問題が騒がれた。その余波で例年なら三月初めに行われる卒業式が三月半ば過ぎまで延ばされている高校も少なくないようだ。
 世界史や日本史の未履修に関して云えば、その昔茫猿も世界史も日本史も百年前までで終わってしまい、近現代史は学ばなかったと記憶する。第一次世界大戦以降はカットされていた。
 だから、その後の雑駁散漫な読書で得た現代史に関わる茫漠とした知識は多少あるが、系統だった知識は無い。そんな浅薄な身で正剛千夜千冊を読むと刮目させられることが多いのである。昨夜は「西郷隆盛語録」(奈良本辰也、高野澄編訳)を読んだ。この千夜千冊の善いところは昔流行ったリーダース・ダイジェストの趣があるところである。といって只のダイジェストではない、要約であり書評でもあり正剛の論考でもある。
 西郷隆盛の征韓論下野から西南戦争に至る数年間は近代日本史の謎と云われているのであるが、西郷の深層心理や思考回路にふれながら正剛流の解が示されている。
松岡正剛・千夜千冊・遊蕩編
 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html
西郷隆盛語録 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1167.html

「西郷隆盛・敬天愛人」
私に千糸の髪がある  墨よりも黒い
私に一片の心がある  雪よりも白い
髪は断ち切ることができても
心は断ち切れまい

「京都清水寺にある西郷の詩碑」
「僧月照とともに錦江湾で入水死を図ったものの、自分だけが助かった慟哭をうたったものである。」
相(あい)約して淵に投じて 後先なし
豈に図らんや 波上再生の縁
頭(こうべ)を回(めぐ)らせば 十有余年の夢
空しく幽明を隔てて 墓前に哭(こく)す

 茫猿にとって年度末が忙しかったのは、十年も二十年も前のように思う。近年は三月から五月の連休明けまでは暇である。この頃ではこの暇のまにまに過ぎ往くのだろうと諦観しつつ iNet世界を彷徨っているのである。いや努めて楽しもうとしている。そんな徒然に、今日から「耕 治人」の命終三部作「そうかもしれない」を読み始めている。

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