猫だましと大相撲国際化

17日、大相撲九州場所10日目の白鵬・栃煌山の取り組みで、白鵬が「猫だまし」(立ち会いで、相手の目の前で両掌を叩き、撹乱させる技。)を使いました。これに対し、藤島審判長は「まさかという感じ、普通は小兵が奇襲でやるもの」と発言、元横綱の北の湖理事長は「横綱としてやるべきことじゃない。前代未聞。負けたら横綱として笑いもの。負けたら品格にかかわる。」と批判したことが報じられています。 様々な議論がニュース報道とiNetで飛び交っていますが、見落とされている論点が一つある。

国技大相撲というのであれば、野見宿禰と当麻蹴速の昔から、相撲は神様に捧げる芸能であり、今の大相撲も寺社での勧進相撲に端を発している。だから、かしわ手が有り蹲居《そんきょ》があり注連縄があるのでしょう。行司が脇差しを差しているのもその名残りでしょう。

しかし、江戸中期からたぶん谷風・雷電の頃から勧進相撲は木戸銭をとる興行相撲に変わり、力士も大名お抱えのスポンサー付き競技者となったのです。つまり元来は奉納技芸であったものが興行技能・プロスポーツに変じて行き、今や多国籍化《グローバル化》した国際競技になったというわけである。

猫だましは下位のものが使用するワザであり、横綱が使うのは横綱の品格をおとしめると云う論点は、奉納相撲に重きを置いた議論でしょう。競技として認められているワザであり、横綱が使用するのは横綱の余裕の現れでもあり、見せる競技として面白いという議論は国際化した相撲競技というところに論点をおいているのでしょう。

柔道だって「決まりワザ一本」の勝ち方にこだわる日本柔道と、ポイントを獲得し勝ちにこだわる海外型柔道の違いがあるようです。相撲にしても門戸を開放し国際化した時から此の様な流れは見えていたのではないでしょうか。

国際化した時点で、大相撲は部屋制度や横綱の在り様も含めてグローバル化せざるを得ないと云う、普遍的論理が背景に有ることは忘れてはならないと考える。同時に興行であると云う観点からすれば、面白いか面白くないか、観客が沸くか沸かないかという視点もないがしろにはできないと考える。

猫だましと云うワザは、勝ちにつながれば面白い勝ち方ですが、猫だましがはずれてしまえば惨めな負けにもなりかねないある種の危険なワザであり、賭けが含まれるワザだと考えます。横綱の勝ち方には相応しくないと云う意見も多いのですが、興行を背負う横綱として観客の興味を引く勝ち方と見れば、外連味ある見せるスポーツとも言えましょう。その昔ジャイアンツのサード長島の三塁ゴロの処理とスローイングはショーマンシップあふれるものと評価されましたが、横綱白鵬にもそんな思いがあったとすれば、それはそれで評価できることです。《下位力士をなめたワザだとすれば、相手に失礼だとも言えるのでしょうが。》

横綱の勝ち方について、あまり話題になりませんが「張り手」の多様も如何なものかと云う観点が有ります。張り手はハズレれば負けにつながるワザですが、決まればカウンターパンチとして相手にデメージを与えます。しかも下位力士が横綱に張り手を用いるのは失礼なこととも言われます。最近のモンゴル出身横綱は張り手を多用しますが、これは一つに下位力士との力の差が大きいからであり、一つはルールで認められているワザであれば使用して勝ちにつなげて何が悪いと云う考え方でもありましょう。

一勝は一勝であり、どんな勝ちも勝ちに変わりはないという考え方と、相撲に勝って勝負に負けることも評価する考え方の差ではないでしょうか。どのようにグローバル化しても、変えてはならない不文律が存在するのであれば、そのことをしっかりと教えてゆくと云うことも大切なことなのでしょう。グローバル化と云うものは、”多様な価値観を普遍的な価値観”に収斂してゆくことでもありましょうが、日本大相撲には譲れない不文律が存在すると、新弟子の頃からしっかりと教え込むべきでしょう。

モンゴル出身力士が強すぎるから、部屋の所属力士数を制限しようとする考え方は、グローバル化の対極に位置する考え方であり、大相撲の興隆を図る為に世界に門戸を開き優秀な力士を増やそうとする考え方と相容れない考え方であり、中途半端な得手勝手な考え方でもありましょう。面白くする為に外国人力士を増やしてみたものの、日本人力士が対抗できなくなったから入門者数を制約するというという相撲協会は自己都合だけの考え方とも云えましょう。

日本の伝統的神事にこだわるか、普遍的ルールによる国際化スポーツに重きを置くのか、「それもあり、これもある」という覚悟無き曖昧さが招いたことのような気がするのです。大相撲年寄資格に日本国籍を要求すると云う考え方も、外国人力士には理解できないルールなのだと考えます。横綱の品格を言挙げする前に、日本相撲協会は年寄り株問題や外国籍力士問題について明確な考え方を示すべきでしょう。

《憎らしいほど強いと云われた元横綱、北の湖大相撲協会理事長が急逝されました。土俵の充実を目標に病をおして職務に務められた北の湖理事長のご冥福をお祈りします。》

《2015/12/12 追記》この件について、最近に見た論調にこんなのがあった。「横綱白鵬は今や相撲を楽しむ心境に到っているのではなかろうか。」というのである。勝ち負けにこだわらず、横綱なりに相撲を楽しむというのも悪くない心境であろう。優勝回数を重ね前人未到の世界にいる横綱であれば、今や余人をもってうかがい知れない境地にあるのだろう。

 

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