止揚展2009-1

 昨日はJR岐阜駅から在来線で止揚展が開催されている近江八幡へ向かったのですが、その道中記は後ほどのこととして、先ずは止揚展について報告します。 会場の近江八幡市八幡堀の近く白雲館へ着いたのは午後一時半くらいでした。 会場の白雲館二階へ上がりますと、福井先生や光子先生、面条先生をはじめスタッフの皆さんが、午後二時からの唄と講話の準備をされていました。 リハーサルをする止揚シスターズ、訪れてくる人のために湯茶の接待をする人、会場一角で止揚学園の出版物やグッズを販売する人、福井先生もご挨拶に訪れる人たちとにこやかに談笑されていました。 いつものアットホームで和やかな止揚学園の空気が満ちている会場でした。


 止揚展会場の白雲館
 
歌う止揚シスターズと福井達雨先生
 
 止揚シスターズは三人編成で、歌手二名、エレクトーン伴奏一名(右端)の構成です。 いずれも学園の保育士さんや看護師さんです。 会場が狭いせいもあってか、いつもに増して澄んだ歌声が会場を満たしていました。 講話の終わり近くなって興にのってか福井先生も一曲披露されたのはご愛嬌でした。 
 
 止揚シスターズの歌声や福井先生の講話を聞いているお客様と学園スタッフの皆さん、面条先生や光子先生のお顔も見えます。
 
 会場一角の書籍やグッズの即売コーナー。
 
 福井先生の講話が始まるころには満席となった会場。
 
 福井先生は昨年秋に”立派な前立腺ガンです。”との宣告を受けて、入院手術を受けられました。 術後の回復はとても順調とお聞きしていましたが、会場で最初にお目にかかった先生は心なしかお元気がないようにお見受けしましたが、それでも講話が始まればいつもの元気で活力に満ちた先生でした。 でも何か違う、学園でお会いする先生と何かが違うという感じがずっとしていました。
 今年喜寿を迎えられるお歳のせいか、術後のせいかなと考えていたのですが、白雲館の会場にはスタッフの皆さんの顔は見えますが、学園に共に生活する仲間(園生)の顔が見えません。 彼ら彼女たちの飛び交う声や歩き回る姿が見えません。 整ったよそゆきの止揚学園がそこにあっても、日常の雑然とも混然ともいえるような素顔の止揚学園が見えなかったのが、感じた違和感のもとだと気づきました。 止揚学園は福井先生やスタッフの皆さんの汗と涙の結晶であることは云うまでもないことですが、妙な表現にはなりますが、止揚学園は園生の皆さんがいてこその止揚学園だなと、だからこそ”たくさんの元気がいただける学園なんだ”と改めて思わされました。
《福井先生の講話から》 
 先生は色々なお話しをされましたが、なかで印象に残っているのは、「学園では破れたジーンズを嫌います。」というお話しでした。 洗いざらして破れたジーンズは、それが流行の先端であっても、学園では好まれません。 園生の皆は、破れたジーンズが”イタイ、イタイと言っている”といいます。 靴のカガトを踏みつけて履くのも好まれません。 靴が”イタイ、イタイと言う”というのです。
 それはジーンズにも靴にも命があると園生の皆が考えているからです。 お皿にも机にも椅子にも皆命があると考えているのです。 誰かがお皿を落として割った時に、福井先生は「形あるものは壊れる。 そのものの使命を全うして壊れたのだ。」とお考えになったそうですが、園生は「お皿の命がなくなった。」と言ったそうです。 形あるものは壊れるというのは、ある種強者の論理、皿の命が失われたと考えるのは弱者の視点からの考えなのだと云われました。
 特にメモも取っていない聞き書きですから、間違ってお聞きしたのかもしれません。 でも先生がお話されたことは、いつも相手の立場に立って考える、見る聞くそして感じる。 より弱い者の側に立って、考える。 おおよそそんなお話しだったと記憶しています。

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