止揚No.108

 止揚学園から年に三回発行されている小冊子「止揚」が届けられました。学園のご好意を得て、その一部を転載します。今号の止揚掲載記事は福井先生の巻頭言、同じく先生の連載「負けいくさにかける」そして、特集他です。連載・負けいくさにかけるは別の機会に譲るとして、この号では巻頭言と特集記事を転載します。
 止揚学園には、韓国から海外研修第一期生の崔さんが里帰り訪問に訪れたり、職員の結婚式があったり、新しい門柱が建てられたりと、この春は明るい話題が多いようです。福井先生も地元滋賀をはじめ、神奈川、愛知、大阪など全国各地へ講演に出かけられるなど、お元気な様子です。


  
 先ずは福井達雨先生の「巻頭言」《強い人間より、弱い人間が》

 幸福は辞書に《今の環境に満足でき、それ以上を望む心を起こさないこと》とある。
幼い時、小さな事でも喜びを感じ、幸福はいつも自分の側にあった。 若い時、幸福は山の彼方にあり、それを追い、つかんだと思うと、山の彼方のなお遠い所にあり、なかなか追いつけず、悲しみや苦しみを持つことになつた。
 老人になると、朝、目を覚まし、太陽の光で木の葉がキラキラ光り、風でユラユラ揺れているのを見ると、何て自然は美しいのだろうとフト幸福を感じる。 歳をとると、フト感じる幸福が増えてくる。幸福がまた、自分の側に帰ってくるようである。
 人間が目に見える強さ、賢さ、効果等を求めている時は、幸福は遠のき、人間が弱さを持ち、自分の持つ弱さを大切にするようになると、幸福は側によってくる。幸福は強い人間より、弱い人間が深く感じられるものではないだろうか。

 続いて特集記事です。今号の特集は「生まれた処が止揚学園」です。特集の趣旨について編集者のひとりH賀さんが述べます。

「ゆかいな子どもたち」
 今回は、止揚学園で生まれ育った子どもたちの思いを特集にしました。
食事の時、掃除の時、クリスマスの劇の時、行事の時、病気で苦しんでいる人がいる時、誰かが天に召された時、知能に重い障害をもつ仲間の人たちの中に、職員の子どもたちの顔があり、祈りを共にします。泣いた顔やふくれた顔、はにかんだ顔、笑い顔、みんなと一緒にいろんな表情を見てきました。
「知能に重い障害をもつ仲間の人たちと共に生きて、この子どもたちはどう感じているのだろう」と思うことがあります。
 今回原稿を頼んだ時、誰一人として断ったり、嫌がったりする子どもはいませんでした。文章を書くのが得意な子もいれば苦手な子もいますが「うん、わかった」と快く返事してくれました。あまりの軽さに(大丈夫かな)と、半分心配もありましたが、一人一人の原稿の中にそれぞれの素直な気持ちがあり、知能に重い障害をもつ仲間の人たちから多くのことを学び、大きく成長していたことを知りました。胸が一杯になりました。日々の生活を大きなひとつの家族として歩んでいる私たちの心に灯がともりました。この子どもたちの思いを感じていただければ大きな喜びです。 《編集者:H》

 特集記事は八本掲載されており、いずれの記事もお報せしたいのですが、そのなかより茫猿が一番印象に残った記事を転載します。 止揚学園に勤める職員のお子たちの何人かに、学園を訪問したときや正月の募金活動でお会いしています。皆明るく元気なお子たちです。

「僕にとっての止揚学園」
 僕は、止揚学園で生まれました。
 学園では、職員の子供達は小さい時から学園の手伝いをします。僕も小さい頃から手伝いをしてきました。ご飯を食べた後は掃除をしたり、皿洗いをしたり、クリスマスには食事の用意をしたりします。
また、街頭募金に立つこともあります。
僕は小さい時、学園の手伝いをするのが嫌で嫌でしょうがありませんでした。手伝いをしていると、自分は遊びたいのに遊べない、好きなことができないと思っていました。だから、いつもサボったり、先生に文句を言ってばかりいたのを覚えています。
 けれども最近、何故か手伝いをするのが嫌でなくなっている自分に気付きました。その理由は成長して手伝いをすることの大切さが分かるようになったということもあるのかもしれませんが、僕は単純に手伝いが楽しいからだと思います。
 小さい頃は文句や不満ばかりでよく分かっていなかったのだと思いますが、僕が手伝いをする時、学園の先生達や入園している仲間の人達が僕に喋りかけてきてくれます。それは何げない会話だと思いますが、友達と喋っているように楽しくて、家族と喋っているように暖かい会話です。
 僕はそんな何げない会話が大好きで手伝いをするのが楽しいのだと思います。 考えてみると、学園で働いている僕の母も仕事に行くのがつらいだとか、しんどいなどと言っているのは一度も聞いたことが無いように思います。
 僕はまだ、社会に出て、自分の選んだ職場で働いたことはありません。けれども将来、職場を選ぶ時がきた時には学園のような場所を選びたいです。けれども実際、今の日本にそのような場所は全く無いと言ってもいいほどです。だから僕は、世の中に止揚学園のような場所がもっともっと増えてくれたなら、未来に不安はありません。
 僕にとって止揚学園は僕のどんなに小さい不安や悩みも消してくれる家族がいて、つながりを感じられる場所です。 《F君 高校一年》

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