我が陋屋の鄙桜が開花した。一昨年は3月30日の開花だった。「鄙櫻2010(10.06.21最終更新)2010年3月29日」 昨年は4月6日頃(開花は一日、二日前?)「桜咲き初め 2011年4月4日 」だったから、昨年とほぼ同時期、一昨年よりは一週遅れの開花である。
この桜を見れば、おきまりの句が浮かんでくる。
「 このさくら 去年(こぞ)のさくらも このさくら 」
父母亡きあとも、変わりなく咲く桜である。
病む母の乗る車椅子を押しながら、ふたりで眺めたのは二年前、小雨もようの風吹くなかであった。 母が「きれいに咲いたね。」とつぶやいた言葉が今も耳の底に残っている。 あれから二年、今も昨日のことのように思い出す。 五月の連休が過ぎ、母の日が来たればもう三回忌である。
左より、こちらも咲き始めた大島桜、ミツバツツジ、そして昨春に実を拾い夏のあいだは冷蔵保存し、秋深くなってから播いた種が芽を吹いてきた。 この桜が花をつけるのはいつのことか、その頃には茫猿は?などと思うのである。
来週早々04.09には士協会会長連絡調整会議、翌日には理事会が開催される。 一年間紛糾を続けてきた「新スキーム改善問題」に一応の決着が図られる予定である。 どのような決着がつくかにも関心はあるが、何よりも「新スキームの名を捨てるべき」と総会にて提案した時から、然るべき対策を行っていれば、こうまでも紛糾しなかっただろうに、所管庁の意向に振り回されることもなかったろうにと思われるのも、今や老いの繰り言、由無しごとか。
第45回総会 2009年6月18日
新スキーム(名)を捨てる時 2009年6月20日
鑑定協会はそのWebサイトにて、主任研究員を募集している。 茫猿は三年前の募集時には大きな関心を持っていたが、家庭の事情などから応募は断念した。 今回は家庭の事情は応募の障害とはならないが、如何せん三年の歳月は茫猿を老いさせたと思うのである。歳月は人を待たずなのであり、「Old soldiers never die,they just fade away.」なのである。
人は愚かなものだと思う。 鑑定業界のことなどではない、自らの生き方のことである。 機会の女神に後ろ髪はなく、あとの後悔は先に立たず、墓に布団は着せられないのである。 この先、春が巡り来たり桜の咲くを見るたびに、同じ思いにとらわれることであろう。 畢竟、為して後悔するは好し、為さずして後悔するを避けたい、残される月日さあれかしと思うのである。
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”さればとて”、うたた寝も 叱りてのなき 寒さかな ですね。小生も、桜の季節になると、決まって、あと何度と、この魑魅魍魎の宴の巡りを思います。