高岡・万葉線

2012.11.17 永平寺参拝を終えて、福井駅から北陸線特急に乗車したのは11:00頃でしたか、高岡駅に到着したのは12:17、駅構内でパンとお茶を買い求め、駅前から万葉線に乗って新湊へ向かうのです。 前日からひたすら北陸の地方鉄道を乗り継いでいる茫猿は、新幹線や在来線特急では味わうことのできない、旅客や乗務員との距離の近さ、沿線の民家や風景との距離の近さを楽しんでいるのです。

車窓から手の届く近さでゆっくりと過ぎてゆく民家や景色は、その土地、土地に繰り広げられている生活を垣間見ているような感じがします。日本全国どこへ行っても同じような景色が広がっている都会に比べて、農山村や下町ではまだまだ地域固有の民家の造り方や生活のあり方が残されており、その違いを見る楽しさがローカル鉄道に残っています。

高岡駅前のベンチで、パンとお茶の昼食を摂りながら待つこと暫し、万葉線電車がカーブを廻って高岡駅前電停に入構してきます。 ここから折り返して終着の射水市越ノ潟へ向かいます。 万葉線は経営不振になった加越能鉄道から2003年に第三セクター万葉線(株)が経営を引き継いだものである。
 
高岡駅前電停で乗車開扉を待ちますネコ電車。

越中国守として赴任していたことに因むという、万葉の歌人・大伴家持に由来するという万葉線は高岡市内を走る軌道線(道路上を走る、いわゆる市電タイプ)と射水市内の専用鉄道を走る鉄道線とで構成されている。 乗車実感としては六渡寺電停を過ぎてから道路を離れて、ローカル鉄道に変わったのだが、速度が上がったくらいで特に違和感は感じなかった。 車外はネコなどの動物塗装、車内には保育園児達の絵が飾られている。

高岡駅前電停で食べ残したパンを片手にのんびりと、沿線(新湊)出身の落語家・立川志の輔の演じる車内案内アナウンスを聞いていると、約一時間ほどで終点の越ノ潟駅に到着します。 越ノ潟駅はフォーム以外に何もない寒駅です。 写真の背景は富山新港です。

ここで高岡へ折り返す電車に乗ろうかと考えていたら、電停と目と鼻の先にある県営渡船に乗って対岸の堀岡へゆけばコミュニティバスが富山市岩瀬浜ライトレール駅まで運行されていると教えられる。 県営渡船を教えて頂いた乗務員が乗る電車が折り返していった後にやってきた「フルフラットの完全低床車両アイトラム」です。

富山ライトレール岩瀬浜までの行程を教えられた茫猿は、それならば戻ることはあるまい、先へ進むのみと県営の無料渡船越ノ潟フェリーに乗船するのです。 雨に煙る富山新港を渡ってゆく乗船客は茫猿ただ一人でした。 というほどの感傷にひたる間もなく、五分ほどで対岸に渡されます。

ところが、対岸の堀岡につきバス停の時刻表を確かめますと、一日三便のコミュニティバスの次の便は16:00です。 その時の時刻は14:00少し前、無人の乗船客待合所で為す術もなく2時間を過ごすのかと、ベンチに腰を降ろし雨に濡れた上着とハンチングキャップを乾かしながら雨の富山新港をぼんやりと見ていたのです。 雨の富山新港には1930年に商船学校の練習船として、進水誕生した帆船海王丸が、かつての雄姿を富山新港を横断して建設された斜張橋新湊大橋の下に見せています。
肌寒さをこらえながらぼんやりと佇んでいますと、そこへ、コミュニティバスがやって来るではありませんか。行き先も確かめず飛び乗る茫猿でした。 このあたりは日頃の性格そのままに行き当たりバッタリの茫猿ですが、これもまた時刻表の無い旅なのです。

肌寒い待合所と違って暖房が効いた車内は心地良いのですが、バスの行く先は「射水市足洗老人福祉センター」とのこと、茫猿だって前期高齢者だから老人福祉センターへ向かって、ひと湯浴びても怪しくはありませんが、今日の目的地とは違います。 終着の老人福祉センターで乗務員さんに尋ねますと、「折り返しに乗車して下さい。適当な定期バス停を教えますから、そこで定期バスに乗って富山市内へ向かいなさい。」と教えられました。

折り返しの乗車料は要りませんという「旅は道連れ、世は情け、渡る世間に鬼はなし。」というご親切に助けられて、 足洗西口バス停で待つほどの間もなくやって来た富山地鉄北斗バスに乗り富山市内へ向かうのです。この時14:47でした。
富山駅前行きのバスに乗れたときの心地は、地獄に仏、雨に濡れた足を洗った気分で、いつしかうたた寝をしていました。 気づくと車内アナウンスが「次は大学前」と呼称しています。前方を見ると霧雨の中に市電らしき影も見えます。 やれ嬉しやとバスを飛び降りて市電に乗り換えるのです。 岐阜に戻ってから地図を確かめますと、県営渡船堀岡乗船場から大学前電停に至るコースは、結果的ではありますが、それ程間違ってはいないというよりも、無駄のないコースだったのです。
GoogleMap緯度経度情報「36.759168, 137.167680」座標値をコピー&ペーストして下さい。 》

富山市電は正しくは、富山地方鉄道・富山軌道線(市内線)といいます。 1系統(南富山駅前-富山駅前)、2系統(南富山駅前-大学前)、3系統(環状線)の路線があります。 電停には電車到着の案内表示板が設けられています。

何度も申しますが雨の一日も終わり近く、折りたたみ傘を持ってはいますが、長時間歩くわけでもないからと、濡れながら歩き疲れた茫猿は富山駅前にたどり着きます。 駅前では、明日は乗ってみたいサントラムが発車するところでした。

富山駅は北陸新幹線(長野-上越-富山-金沢間、平成26年度末完成・開業予定)の開業に向けて新駅舎の建設が始まっていて、駅前のあちこちには「北陸新幹線・富山駅新築工事・安全祈願祭会場」の案内看板が立っていました。

その夜の宿にチェックインした茫猿は、濡れた帽子と上着を乾かしながら、夕食までの仮眠をとるのです。 仮眠後にホテルフロントでいただいたのが「富山湾鮨」という案内冊子です。 ホテルに近くて、客席数の少ない店という基準で選んだのが「歩(あゆみ)寿司分家」さんです。

客席数10客、店主ご夫婦と店員一人で経営されているお店は、和やかな雰囲気で茫猿が席を確保して間もなく店内はお馴染みさんで満席になりました。 お任せ地物刺身と赤貝バイ貝を肴に地酒二合、ひかりモノ握りは鯖と鯵各二貫、鯖が締め具合といい脂ののりといい、あまりに旨いのでお代わりをいただいた後の〆に店主が最初に薦めていた「シロエビの軍艦巻」を頼んだのですが、これは間違いでした。

誤解しないで下さい。 シロエビが美味しくなかったということではありません。 順番を間違えたのです。シロエビをいただいた後に鯖をいただくべきでした。 それはそれとして、雨のなかを歩き訪ねた甲斐があった歩(あゆみ)寿司さんでした。 そのまま宿へ帰ればよいのに、飲み足りない茫猿は、歩寿司さんから近くの蕎麦居酒屋の暖簾をくぐるのです。 オロシ蕎麦に冷や酒二合を注文したまではよかったのですが、オロシ蕎麦は首を傾げるお味、それでも蕎麦好きが災いして完食、冷や酒もほぼ一気呑みという始末。 とうとうその夜は、少し風邪気味な具合もあってか、夜更けに蕎麦も酒も戻してしまう始末でした。 もう若くはないのだと思い知らされて、北陸ローカル鉄道二日目は終わったのです。

『鄙からの発信』定番、富山市の蓋、二枚です。 左が下水蓋でしょうが意匠はアザミだそうです。 右は上水道止水栓かもしれません。意匠は立山連峰でしょう。

    

 

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