日本の司法はいまだ健全なりと思わせる注目すべき判決が2件出た。
一つは、「大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決」である。
いま一つは、「第4次厚木基地騒音訴訟事件判決」である。
大飯原発運転差止請求事件判決については、NPJ(News for the People in Japan)から判決要旨が公開されているからお読みいただきたい。 格調高く巨大技術と国民の安全を謳う判決である。 一部を引用紹介する。
『新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。』
厚木基地騒音訴訟事件判決では、基地周辺の住民が受けている被害は健康または生活環境に関わる重要な利益の侵害であり、当然に受け入れなければならないような軽度の被害であるとはいえないとし、自衛隊機の夜間と早朝の飛行の差し止めを認める判決である。
その一方で、米軍機の飛行差し止めの訴えについては、日本の法律では差し止めの対象にはならないとして退けた点には不満が残る。 判決は米軍機の騒音被害について、政治の問題であるとして判断を避けたものと思われる。
いずれの判決も地裁におけるものであり、大飯原発事件では翌日に被告《関西電力》が金沢高裁へ上告したし、厚木基地事件も国が上告することは確実と思われるから、両判決が確定するか否かはまだ先のことである。それでも地裁段階とはいえ、画期的な判決が出たことの影響は大きいだろう。
原発再稼働、集団的自衛権・解釈改憲にツンノメリそうなほど前のめりな安倍総理にとっては「小癪で腹立たしい判決」だろうと思われる。でも世論の大勢はこの二件に対して慎重であり、原発の再稼働にも戦争のできる国に向かうことも批判的であると認められる。
一部世論調査では、両者に前向きな姿勢も少なからず存在するが、これらは質問の内容を精査すると調査側の誘導姿勢が読み取れるものであるから鵜呑みにはできない。
集団的自衛権に関連しては、安倍総理のお友達として名高い岡崎久彦氏がその本音を代弁している。 「自衛隊は戦争する軍隊になりますよ」安倍首相のブレーン・岡崎久彦氏に聞く集団的自衛権より引用する。
岡崎氏:集団的自衛権というのは権利であってね、義務じゃないですからね。なんかあったら戦争しなくちゃいけないというのではないから、するかどうかはね、総理が決める、それ以外にないです。
自衛隊は戦争する軍隊になりますよ。国が危機にさらされたらやりますよ。国が危機にさらされて自衛隊が戦争しなかったらどうするんですか。
このような「安保法制懇」メンバーの世論リードについて、小林よしのり氏が「集団的自衛権・安倍会見のトリックに騙されるな」と述べている。小林氏は明快かつ率直に自説を述べる方だから、安倍総理の欺瞞性の高いレトリックが我慢ならないのであろう。
小林氏は『いったん「限定的」という口実で集団的自衛権の行使が容認されてしまえば、その範囲はずるずる拡大されていくのは間違いない。「おともだち」の報告書は、その「歯止め」として6つの条件を提示し、安倍も記者会見でこの「6条件」を強調した。 では本当にそれは歯止めとなるのか?』と述べている。
経済的繁栄の為といっても、廃炉費用や廃棄物処理が未解決のままであり、いったん事故が起きれば取り返しのつかない被害が起きる原発再稼働を、国民の安全を棚上げして容認すべきでものあろうか。 いま問われているのは巨大技術の運用とそこに潜在する国民の安全性をどのように考えるかであり、国民一人一人に問われているのである。
集団的自衛権解釈改憲については、憲法九条が謳っている平和国家を指向する日本が国外で戦闘行為を行うことの是非を、国民一人一人に問うているのである。安倍氏および自民党に多数を与えてしまったことは選挙の結果である。しかし、彼らに丸投げ全面委任したわけではない。 今こそ、市民一人一人が様々な機会や場所で声を上げてゆかねばならない。 その小さな声なき声が日本を動かしてゆくのだと茫猿は考えている。
原発を再稼働し、いずれ起きるであろう東南海地震がもたらす原発被害におびえて暮らすのか、戦争のできる国へと日本を転換して若者を遠く海外で死なせてよいのか、真剣に考えなければならない。見せかけだけのアベノミクス円安景気に踊らされて、本質を見誤ってはならないと茫猿は考えるのである。
もう一点注意しておきたいことがある。歴史上、洋の東西を問わず、為政者が施政を大きく転換し我意を通そうとするときには、外敵の不安を煽り、民族意識を煽り、一見判りやすい言葉で国民を煽動しようとするものである。これらの煽り行為や一見判りやすいが潜む真意を隠すロジックに惑わされてはならないのである。 残念なことであるが、少なからぬマスコミには、 ”事なかれ的に、あるいは目先の経済的利益を優先し、時に政府や広告スポンサーに配慮して、” それら為政者に迎合するかのような報道がみられる。
我が陋宅のシンボルツリー、今日の山法師である。 盛りはやや過ぎたものの、白い花と青若葉の対比は鮮やかである。
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