早朝に家を出て夜更けて帰宅すると云う生活に終止符をうってから、既に七年になる。晴耕雨読と云えば聞こえは佳いが、日々為すことも無い暮らしを過ごしている。日残りて昏るるに未だ些か遠し日々とは云うものの、何の代わり映えも無き無惨に退屈な日々でもある。そんな日々ではあるが、少しばかりの楽しみすら無いわけでもない。
それは、季節の先取りを感じられることである。身過ぎ世過ぎに追われていた頃は気付きもしなかった些細なこと、まこと身辺雑記としか言いようも無いことに気づかされる楽しさである。
冬来りなば春遠からじと云うが、我が鄙里の冬の極みは一月の末から二月の初め、ちょうど立春の頃である。落葉樹は散り残した枯れ葉も木枯らしに吹き飛ばされて、まこと裸木となり、常緑樹も病葉や枯れ枝をすっかりと払い落としてしまい、地表の枯れ草は僅かな緑をまとうだけとなっている。枯れ野の極みと為り果てているこの時季にこそ春の到来が感じられるのである。
裸枝であればこそ新芽の色づきが眼にとまるのであり、風が無く日ざしが柔らかであればこそ春一番の花が眼にとまり易くなる。まこと、冬の極みにこそ春の訪れが五感に沁み渡ってくるのである。そんな春を雑木林のあちらこちらに訪ね歩く朝は、鄙暮らし残日録を楽しんでいる。
咲き始めたコブシの白さと、冬の極みにこそ見せる空の蒼さがたとえようも無く美しい。目を薮陰に転じると、深緑のなかにまだまばらな白椿が目に入ってくる。
様々なことが片隅をよぎるとはいえ、由無し事はただ浮かび留まること無くただ消えてゆく。心のひだは波打つことすくなくなり、日々は凪のごときものとなってゆく。ただただ季節の入れ替わるさまに心騒ぐこともなく揺蕩うて《たゆとうて》いる。
《追記》
この記事をアップしたら、「関連する記事」に「病床の友を訪ねる : 2015年3月24日」がリンク付けされた。自力歩行が叶わなくなり東山日赤に入院した中村を訪ねたおりの記事である。京都駅で新幹線を降りJR奈良線の次駅東福寺で下車数分の病院を訪ねたのは、まだ一年以内のことである。初めての下車駅東福寺から東山方面に緩い坂道を登って行った日のことを、鮮やかに思い出す。「まだ悟るなよ。もういちど祇園まちで酒を呑もう。車椅子は俺が押してゆく。」と言ったら、涙を浮かべて頷いていた彼のことが思い出される。元気付けで言ったわけではない、叶わぬことでもなかろうと考えていた。叶えたいとも思っていた。
しかし、願いが叶うこと無く、翌月には北白川のホスピスに転院しターミナルケアに日々を暮らす身となり、六月の末には静かに旅立って逝った彼である。ずいぶんと前のことのように思えるけれど、まだ半年程も経っていない。彼がいなくなってから秋の彼岸がゆき、春の彼岸がもうまぢかである。
母が旅立ったのが2010.05.08、それから年を追う毎に大切な人たちが身の回りから居なくなった。 母、父、義之叔父、秀夫叔父、村北、益雄叔父、佳宏くん、そして中村である。この七年のあいだ、人を送ってばかりいたようである。否応無く送ることに慣らされて”ただただ、日々は凪のようなものになってゆく”のであろう。落花は枝に還らず、我が心のうちにのみ咲くのである。
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