朝日に匂ふ山桜花

花散らしの雨に揺れている鄙桜を窓越しに眺めながら、茫猿はいつの頃から桜は山桜と思うようになったのだろうかと考えていた。 染井吉野桜をやみくもに嫌っているのではない、桜と云えばソメイヨシノばかりという風潮に馴染めないだけなのである。

「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」と詠ったのは本居宣長ですが、この歌と戦意高揚・国威発揚とを結びつけた風潮は歌も桜も傷つけたように思えるのです。西行法師が「願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」と詠った桜も山桜です。何よりもこの二人の歌人が生きた時代にソメイヨシノは存在していないのです。

桜並木をつくっている桜が一斉に花開き一斉に散りゆき、花吹雪の風情を見せるのもソメイヨシノならではのことです。艶やかな桜色の花のトンネルは見事だと思います。それもこれも江戸時代末期に染井村(現在の東京都豊島区駒込)で見つけられた一本の樹から、挿し木で増えてきたクローン・ソメイヨシノならではのことでしょう。我が鄙里では、最初に咲く寒緋桜から最後に咲く八重桜まで、一ヶ月以上の時間差があるので長く桜花を楽しめますが、一斉に咲く豪華さは楽しめません。

ソメイヨシノに何の罪も無いことです。「華やかであるし皆と同じが無難、それに成長が早い。加えて園芸業者が大量に育てたことから廉価である。」などの理由から、各地の公園や河川堤防に植えられた結果が招いたことです。桜の名所づくりには二十年三十年の歳月を要しますから、植栽当初にはこれほどにソメイヨシノばかりになるとは考えなかったかもしれませんが、気づいたら何処もかしこもソメイヨシノ一色になっていたということなのでしょう。

茫猿が桜と云えばソメイヨシノと云う風潮を嫌うのは、「他者と同じであれば無難という事なかれが垣間見える」からであり、「様々な桜を楽しもうと云う、多様性を求める姿勢を許容しない風潮」を桜の季節毎に見るからです。他にも病害虫対策《一斉枯死》や植物の多様性が失われるという問題も存在します。「サクラといえばソメイヨシノという一斉化風潮や、個性を認め多様性を尊重しない風潮」は、日本古来からのサクラ文化を破壊してしまうような怖れを感じると云えば大袈裟でしょうか。

京都祇園・白川添いの桜はソメイヨシノが中心ですが、枝垂れ桜も混植しています。何よりもところどころに植え込まれた新芽をふく柳の緑がとてもほど佳いアクセントをつけています。流石、著名な桜守り” 佐野藤右衛門”を生んだ京都の花名所です。花名所と云えば右京区嵯峨野・広沢池付近にある『佐野藤右衛門邸』は、200種類もの桜が咲き誇る隠れた桜名所です。《今ごろは無料公開されています。》

四十半ばの頃に我が陋屋雑木林の手入れを始めたとき、ソメイヨシノ一辺倒の風潮に違和感を感じていたからこそ、植えた桜は山桜や大島桜だったのであろうと思い出すのです。皆と同じであれば好しと云う考えを是としない茫猿気質のせいで、山桜の苗木を求めるに結構苦労したことも思い出します。それにソメイヨシノを植えなかったから、陋屋の桜は同じ山桜でも一週間以上の時間差をもって長く咲くのです。

昨日の朝日に匂う鄙桜(山桜花)、梢まで花開き満開です。花散らしのヒヨドリがやって来るようになりました。画面左端の桜はまだ咲き初めです。20160406asazakula

白かった鄙桜の花芯が紅く染まり始めました。20160406sakulabana

桜と競うようにミツバツツジが咲き始めました。背後の枝垂れ桜は若葉の勢いが増しています。20100406mitsuba

背丈ほどの苗木を植えてから三年目の「御衣黄桜」が初めての蕾をつけました。一週間くらい先と予想する開花がとても待ち遠しいのです。20160407gyoikou

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