Katsura Imperial Villa

2016/09/07  六月の初めに参観予約がしてあった桂離宮を訪ねてきた。京都駅前のバスターミナルから市バス33号線に乗り、桂川大橋を渡ってすぐに桂離宮は存在する。桂川は嵐山までは保津川、嵐山付近からは桂川と名前を変え、鴨川と合流したあとは宇治川とも合流して淀川となる河川である。

桂離宮の印象を一言で云えば”精緻”であろうか。幾つかある茶室と露地の集合体とも云える。庭園の隅々まで手入れが行き届き、植込みも露地の踏み石も、茶屋も待合いも苑景にしっくりと馴染んでいた。ブルーノタウトが「泣きたくなるほどに美しい」と言ったと伝わるのも、然もありなんと思える。

茫猿は七月に修学院離宮を訪ねている。同じように宮内庁が管理する京都の離宮であり建造時も近い修学院離宮と桂離宮は似ている点もあるが、茫猿の印象としては違いの方が大きいものだった。桂離宮の案内サイトは幾つもあるから、ここで苑内や建物・灯籠などを語るよりも、修学院離宮と対比して参観印象記を述べてみたい。《桂離宮案内・菊葉文化協会

参観方法は修学院離宮と同じである。指示された参観時刻に参観者待合所に集合し、案内する宮内庁離宮職員が先頭に、約30名の参観者集団の後尾に私服の皇宮警察官が監視警護するスタイルも同じである。 違うのは、回遊式庭園である桂離宮では苑内通路が狭いから《茶席の露地などと同じ》、一列になる箇所が多いというより大半であり、どうしても渋滞してしまうことである。 末尾の皇宮警察官がとくに急かす訳ではないが、無言の威圧を感じるから列間隔を空けまいとして、散策感覚が乏しいのが残念である。

好きな場所で立ち止まり景観を心ゆくまで眺めることなど許されない感じである。狭い露地や土橋での渋滞を避けるには、一回の参観者数の絞り込みが有効なのであろうが、それは広く公開し多くの人たちに訪れてもらうという目標からは離れることとなる。そのあたりの兼ね合いが難しいところであろう。その点において修学院離宮は一部を除いて道幅もあり、ゆったりと巡ることができる。比叡山麓に野趣を残す庭苑の造りもあるが、なにより広いことが大きいのである。

今年より離宮門前での当日受付も始まったけれど、予約者であっても身元を証明する免許証や保険証の提示を求められるのであり、参観を許可してやるという感覚も抜けきらないのであろう。桂離宮と云えば優しい語感だが、その実は「Katsura Imperial Villa 」なのである。《今どきであれば、離宮門前に加えて京都駅でも受け付ければ良かろうにと思うのである。インターネットを利用すれば簡単なことであろう。》20160908sankan

桂離宮で茫猿が観たかったものの多くは、見ることができなかった。離宮の中心である古書院、中書院、新御殿の書院群は早足で通り過ぎるだけだった。台風接近のせいもあろうが、すべての蔀戸は閉ざされてあり、内部をうかがうこともできなかった。《常もそうなのか、この日だけ閉じてあったのかはわからない。》

桂垣とも笹垣ともいわれる竹の生垣の裏側を見たかったのであるが《竹がどのように曲げられ編まれているのか見たかった》、付近に立ち寄ることもできなかった。写真は桂川沿いの笹垣外観である。《何本もの笹竹を曲げ、穂先を編んで生け垣としてある。》びっしりと編み込まれ、笹葉が茂っているから編込みの様子はうかがえない。20160908sasagaki

随処に配置されている織部灯籠は茶庭(露地)に馴染んで簡素な造りである。月見などの機会に足許を照らすために丈も低いのだと説明された。写真左も灯籠である。デザインは月と太陽と星を表わすと説明された。右は珍しい三角形の灯籠。ネットでは古田織部ゆかりのキリシタン灯籠も所在すると云うことであったが、説明も無かったからどれがそうなのかは判らないままに参観を終えた。

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庭の石組みのように見えるが、外腰掛《待合い》に設けられてある「砂雪隠」である。左右の踏み石に足を置き中央の凹みへ用をたすのである。中央の凹みには砂が敷いてあり、使用の都度、砂を取り替えるのだという。水洗ならぬ砂洗トイレである。

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竹樋である。桧皮葺の屋根から落ちる雨水を割り竹で受け、木製桝を経由して露地に流している。樋の受けも木製である。

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日頃は閉ざされている表門と、表門から続く御幸門。御幸門は皮付きのアベマキが用いられているが、樹脂注入で補強されている。手触りは明らかに樹脂であり、補強なのか似非なのか難しいところである。
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笑意軒前から園林堂や賞花亭に架かる土橋を、二重橋を意識して撮ってみたのだが、季節や時間が適当ではなく、撮影場所の制約もあり、それほどの絵には仕上がっていない。20160908dobashi

何枚かの写真のうちで、最も気に入っている松琴亭と風情ある古木図である。書院前付近より撮影した。亭の前に立つ古木が、槙柏のシャリにも似た枯れ具合いを見せている。この古木は”杉”と見たのだが、立ち止まって確認する暇は無かった。20160907rikyu-a

印象をもとにして修学院離宮と桂離宮を比較してみた。精緻さで桂離宮、野趣溢れる雄大さでは修学院離宮である。《茫猿の好みは断然修学院離宮》

[桂離宮] [修学院離宮]
(建造時期) 1624年頃以降 1656年頃以降
(総面積) 7万平米 55万平米
一部、水田を含む 周囲の棚田、山林を含む
(建造者) 八条宮智仁親王 後水尾上皇
(後陽成天皇の弟宮) (後陽成天皇の第三皇子)
(所在地) 桂川畔 比叡山山麓
(見学時間) 700m?、約50分 3km、約80分
回遊式庭園 池泉観賞庭園
(その他) 丈の低い変り灯籠 松並木、大刈込み
竹の笹垣と穂垣 棚田と京都市街遠望
桂川の引込み(現在は井戸)。精緻。竹林と植込みと建物で囲い込み、外界を遮断している。 堰を築き沢水を溜める、比叡山麓を借景とする雄大な景観

笑意軒の窓から見える水田《苑内の一部であり、修学院離宮の棚田と同じく地元農家が耕作を委託されている》。水田は鉄柵に囲まれた離宮敷地内にあるが、鉄柵越しに写すのである。水田の向こう側、杜沿いに離宮の竹垣が見える。GoogleEarthやストリートビューで詳しく確認できるから、お試しあれ。水田はヒエ一つなく美しく耕作されている。見事な稲作田である。
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参観を終えてから、桂川を渡ってみた。汗ばんだ肌に川風が心地よかった。桂大橋から左に桂離宮の杜、右手上流に鉄橋を渡る阪急電車、遠くに高尾山、愛宕山が望めた。《逆光なので補正には限界があり、画面が暗いのはご容赦。 iphone付属カメラではなく、一眼レフを持ってゆくべきなのだろうが、重いので老猿にはこたえるのである。》20160908hankyuu2

上掲の写真を阪急電車鉄橋を中心にトリミングし、明度を上げてみた。
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桂離宮訪問記はこれで終わりである。何やら慌ただしい参観だったが、それでも秋深まる頃や冬枯れの時期に再訪したいと思える離宮だった。修学院離宮には十一月末近くに再訪する予定で予約も済ませてあるから、桂離宮の再訪もいつかは考えてみたい。

《追記》京都御所、仙洞御所、修学院離宮、桂離宮については、本年八月以降は当日参観申込が可能となった。詳しくは宮内庁サイトにて。

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