2019年 己亥 春風献上

新年明けましておめでとうございます。
平成31年の年明けであり、新しい元号の風が吹く年明けでもあります。

今年こそは賀状を全廃もしくは大幅に縮減するかと考えましたが、結局は例年どおりの枚数を投函しました。ただ、宛名は手書き、文面にも一筆書き添えるというスタイルを守りました。昨年初夏の頃に病を得て、その後遺症もあるのでしょう、生来の悪筆が判読不能に近いものとなってしまいましたが、それも愛嬌と手書きを守ったのです。

賀状の写真は昨春から多くの花を付けるようになった御衣黄桜です。この桜は孫が生まれた時の記念樹ですから、孫の成長とともに春を彩ります。

一筆啓上欄にもっとも多く書き込んだのは、「喜寿忘れ 桃栗植える 冬日和(または年の暮)」という川柳とも句ともつかない駄句です。この句の意味する下七七は「桃栗三年 茫猿は何年もつだろか?」でしょうか。

畑の中のただ草が生えているだけの空き地に何かを植えたいなと常々考えていました。来年どころか来月のことさえ確かには分からなくなった喜寿目前の己の年齢を考えれば、花の咲くのも、まして実ることなど及びもつかないと考え直していました。でも昨年暮れに度々植えたいなと思うのであれば、この際植樹しよう。花が咲くのも実をつけるのも、必ず間に合わないというわけでなし、間に合わなくても「それはそれで良し」と考えたのです。

喜寿を超え傘寿を迎えることが、もしも出来たたときに、「あの時植えてあれば、桃の花見ができたのに、孫と栗拾いができたのに。」とは思いたくない。そう考えただけのことです。何より空き地を見るたびに心のこりを思わずにすみます。

《2019/01/02 追記》
頂いた賀状を整理している。毎年の暮れには整理しようとしても整理できずに住所録をそのまま繰り越しているから、余裕のある年始に賀状住所録を整理しておこうというのである。(1)出しているに届いていない方は賀状住所録より削除する。(2)明らかに業務用の虚礼と認められる方も削除する。そういえば、この賀状をもって賀状送付を止めますと宣言されている賀状もあったが、この方を削除するか否か迷うところだが、削除は来春以降でよかろう。

 

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