六月の「鄙からの発信」は”梅雨入り”、”九条入門”を挟んで、”梅雨さなか”、”梅雨どきの花”と続いたが、水無月晦日頃から文月朔日さらに今日の「讃 れいわ新選組 七夕」まで、「鄙からの発信」記事は『れいわ新選組』一色である。こうまで続けば、このサイトを訪れる方もいささか食傷気味なのでは案じます。
そこで、閑話休題(話かわって)、水無月の初めころから始めた”我が家前栽の模様替え”あるいは設え直し(しつらえなおし)について、話を振るのである。
柘植の植え込みを伐採そして抜根したばかりの頃は、ヤマガラ土がゴロゴロする荒い庭土であったけれど、踏み石を並べ、ツワブキ、マンリョウ、サツキ、クルメツツジ、トクサ、ユキノシタ、オモト、イワヒバ 、スナゴケなどを整えれば、少しずつでも様になってくる。五葉松の根方に植栽されている岩ヒバが元気を取り戻している。
ゴロゴロと浮いている砕石は取り除き、黒土と川砂を合わせた目土を入れれば、地表面はずいぶんと落ち着いてきた。一昨日からは梅雨も中休みで晴れ間や曇り空が多いから、午前中に三、四時間づつ植木の刈り込みや選定作業を行なっている。
平戸や皐月を刈り込み、五葉松、槙、金木犀、黒鉄黐(クロガネモチ)、山法師などの徒長した枝を剪定して風通しを良くしている。作業は順調に進んで、明日一日の作業を残すのみである。中央奥の山法師がスッキリした樹勢を見せている。一年もすればスナゴケもイワヒバ も今よりは拡がっていることであろう。
サッパリとし風通しの良くなった庭を眺めながら、想いは一つ所に行き着く。午前中の三、四時間に限定し、脚立に昇る高上がり作業、剪定鋏使い、電動バリカンの片手保持など、まだまだ体は動いてくれている。それでも六十代に比べれば、同じ作業を終えるのに倍の時間を要するようになった。
午後の作業だって出来ない訳ではないが、一年前に罹病し毎朝の薬が欠かせない身であれば、無理はすまいと、作業後はシャワーを浴びて昼寝を日課にするのである。そこで、さて来年も同じことが出来ようかと、実に埒もないことを考えるのである。先のことなど思い煩っても詮無いことと分かっていながら、今日も想いは其処へ辿り着くのである。
それもこれも、父母が亡くなって早や十年近く経ち、我が齢も母の没年まで残り15年、父まで20年余となった。残すところ15年余のみか、15年も残されているか、何れにしても先は既に見えている。七十のことは七十に到らねば分かりはしないと、思い至るようになったのは六十になった頃だったか、七十の頃だったか。健康余命などと多くを望むものではないが、消え去るその日まで自分で食事を摂り自分で排泄できたいと願うのみである。
《追記》誤解しないで頂きたい。厭世的に陥っている訳ではない。悲観に耽っている訳でもない。晴耕雨読の日々を楽しみながら、素直に自分と向き合う心境を綴っているだけである。流れる汗を拭きながら、前栽に鋏を入れている時に、来年もなどと考えている訳ではない。そんなことをすれば脚立から落っこちる。
《追々記 07/08》『れいわ新選組』と山本太郎は話題満載だが、マスコミは無視を続けている。比例区特定枠を逆手利用する太郎背水の陣、資金カンパで2億円余を集め、難病患者と重度障害者を国会に送る意味、新宿で馬の選挙、沖縄創価学会壮年部会員の東京選挙区立候補 などなど。これだけの話題満載を無視してジャーナリズムを名乗るな。
それにしても新宿で”馬の選挙”とは、壮大なパロデイーか、アイロニーか、吉本新喜劇とふざけている何処かの総理大臣の鼻づらを引き廻すかのようだ。でもマスコミは無視を続けている。
都会という空間は人間によって制御され記号化されている。その気持ち悪い空間に、記号化されない400kgもある、大きくて優しい生きものを、記号化された選挙に持ち込んだ。ナンダ!! コレ!! の選挙に、南フランスの賢い馬が登場した。
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