茫猿鉄道 2020 -2-

基盤工事が概ね終わったのを機会に、茫猿鉄道の歴史をざっとトレースしてみる。

第一期 1980年頃 L180╳W90(cm)
四畳半に構築した小さなジオラマである。親父の古い座敷机を基盤にしているようだ。小さいながら、それなりの作り込みの跡も見える。

第二期 1983年頃 L250+100╳W100
同じく四畳半に壁沿いL型に構築する。その数年後、忙しさにかまけてジオラマ遊びは中断し、2003年に到るまで鉄道模型から遠ざかっていた。
写真左が第一期、右が第二期 のジオラマである。
     

第三期 2003.5.14〜2004 L180╳W120
構築場所を四畳半から二方に廊下のついた六畳に移して、本格的に構築をはじめる。この六畳間は今に到るまでジオラマ部屋であったり、息子が遊び孫が遊ぶプラレール部屋であったりしている。

第四期 2004.04.01〜2007 L280╳W120
第三期ジオラマをさらに拡張して、扇型機関庫と転車台を設置する。隧道のある山間風景、駅前広場ある都会風景など、作り込みの跡や車内灯を光らせて走る湘南系など随分と頑張っていた。
写真左が第三期の基盤、中が第四期の機関庫等、右が隧道を出てくる名鉄パノラマ特急。
    

第五期 2007.07.01〜2009
第四期ジオラマを解体して新たに設計構築する。スッキリしたレイアウトで、山寺風景や車載カメラ搭載車両などが特徴である。写真は作り込み途上であり、次葉写真からHOゲージレールを取り除いたレイアウトが第五期である。

第六期 2009〜2010.08
一度はHOゲージの車両を走らせてみたくなり、第五期ジオラマの外周にHO線路を増設する。画面右端のHO線路路盤は仮設状態にあり不安定でよく転落事故を起こした。母が末期癌の告知を受け、その2年後の2010.5.8に亡くなった。

第七期 2010.8.30〜2014.10.09
HOゲージ線路を本格的に設置する為に第六期路盤を一新する(L360、W150)。その後、孫の誕生(2012.12.30)を契機にジオラマを解体撤去し、空いた部屋を孫がプラレールで遊ぶスペースとする。

と云うのは、1980〜1983当時に長男が4〜6才、次男が0〜2才だった。長男に見せて遊ばせたのが運の尽き、私が事務所に出かけた留守に孫の要望に抗しきれず祖母が遊ばせてしまったのである。帰宅してみればパンタグラフはむしり取られ、ポイントコントローラーは焼き付いて使い物にならない始末だった。

ジオラマを見せれば孫が喜ぶだろうが、おとなしく見てるだけでは納まらないだろうし、と言って孫を叱ったり、付ききりで遊ばせることも出来ないだろうから結果は見えている。ならば、しばらくはプラレールで遊ばせるに如かずと云うことである。
結果、2014.10.09より2020.01.12までジオラマ機器は押入れに収納されていた。写真は第七期茫猿鉄道、ひとつの完成形である。

さて第八期茫猿鉄道の現況である。基盤工事は着々と進行している。基盤の狭さから(狭いとはいえL260、W150)走りを優先して、複雑な路線敷設は考えない。Nゲージ複線路と単線支線、HOゲージ複線路のみである。過去の構築との大きな変化は情景ジオラマのモジュール化である。現在のプランでは山間駅と山寺風景、火の見櫓と田舎駅、住宅地、駅前商業地など四分割できる構築を考えている。
       

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