㐂壽・内々祝

先月24日に「喜寿それで?」、今月7日に「2020・㐂壽翁の墓参」なる記事を掲載しているから、読者諸氏には既にお判りのことと思いますが、茫猿は今月、数え年にて喜寿を迎えます。数え77歳と云うことです。《度々、㐂壽なる文字を使えば、ブラウザーによっては文字化けのおそれがあるから、以下は喜寿と記す。》 そこで、その予定原稿を前日の早朝というよりはまだ深夜に記している。”泣く子はイネガー”と早起きする茫猿なのである。

先ずはこの写真から。美味しそうなケーキを前にすれば、老爺も老妻も笑顔なのである。”01.10 老いの実感は入ると出ずるに現る”などと、繰り言を垂れ流したことも暫し忘れている。
          

「毎月々々、給料を運んで来る頃ならいざ知らず、今や脳梗塞と認知症の予備軍となりし爺さまなれば、ご自分でお手配あれ。それにその方がお好きな菓子を食べられるでしょ。」と宣われて、自ら岐阜羽島駅前のPatisserie Peu Connu(パティスリー・プー コニュ)へ足を運びて買い求めたるホールケーキである。

Birthday  Dinner は、鄙の畑や雑木林で採れた蕗の薹(フキノトウ)、牛蒡(ゴボウ)、それにカジキの天麩羅である。家人の労作である春の香りの天麩羅を、我が庭の柚子絞り汁と小豆島の塩で、たっぷりと賞味しました。ケーキは苺のタルト、とても美味しゅうございました。立っている蝋燭は数え77歳です。7を二つ求めた時にPeu Connu のマスターは問い直しもありませんでしたが、茫猿の顔と見較べて喜寿だと納得されたのでしょうか。

遠い記憶では子供たちに、最近では孫たちに買い求めることはあっても、自分用のホールケーキなんぞは正に生まれて初めての体験である。”喜寿の大人買いならぬ老翁買い”なのである。茫猿の幼いころには、バースデイケーキを祝う慣習もなければ、買い求めようにも近在に洋菓子店なんぞは見当たらなかった。

早朝に、目覚めた床のなかで密かに思うのである。今や喜寿なんぞは珍しくも目出度くもない。それが証拠に二人いる息たちも、孫たちも今だに何の音沙汰もない。息といえば、正月に帰省していた二人が母親の前でこんな会話を交わしていたそうである。

「親父がポックリ逝ったら、母さんはどうする?」(弟)、「ムラづきあいも親戚づきあいも下手くそだし、この畑と林の始末もできないだろうし。此処で一人暮らしは無理だろう。」(兄)、「東京へ来るかね、1Kでも用意するよ。」(兄)、「東京へ行くくらいなら。1K分の家賃を俺に送れよ、それを小遣いに島でノンビリ暮らせるよ」(弟)

二人で押し付け合いするよりはマシな話だが、家人に言わせれば「どちらも嫌だね、その時になれば、自分のことは自分で始末する。」と言ったそうである。その時に自分のことが自分で始末できれば結構なことである。どちらにしても「いずれが後やら先やら」であろう。そう云えば「配偶者居住権」なるものが民法に新設されたそうである。(2020.04.01  改正民法施行)

茫猿が先に死んだ場合に限定されるが(現居住家屋の所有権は茫猿が保持する)、妻が配偶者居住権を取得登記すれば、家屋と敷地の所有権(居住権の負担付き所有権)は息子たち若しくは孫たちが適宜相続すればよく、妻が亡くなりし後々の面倒も避けられようと云うものである。《配偶者居住権は配偶者の死亡と共に消滅する。》

喜寿など今や珍しくも目出度くもない。『役に立たない無駄飯食いの年寄りなんぞは、面倒掛けずに早く逝ってくれ』などという陰口が聞こえてこない訳でもない。世間のために縁者のために役に立つ年寄りで居るなんぞは、とても難しいことであるし世間にも稀なことでもある。だからこそ古来稀なる喜ばれる御寿(オントシ)たらむと願い、自ら然にあらむと覚えるのである。

「生の最期を他人に命令されたりいじり回されたくない」、「死に方は生き方の総仕上げだ」と語り、自ら命を絶つ「自裁死」の意思を縁者に度々が伝えていたのは西部邁氏であった。西部氏は、2014年に妻に先立たれ重度の頚椎症性脊髄症に悩み、2018.01.21 78歳で自殺幇助事件を巻き起こしつつ自死した。

同じく前年に妻に先立たれ、脳梗塞の後遺症に悩み、「形骸を断ず」と残して、 1999.07.21 66歳で自刃した江藤淳氏のことも脳裏に浮かんでくる。そして自裁ではなく長く病魔に苛まれた死ではあったが、「存在の一切の痕跡を消去せよ」と言い遺して死去した北高藤江校舎時代からの友人の顔も眼に浮かぶ。

「孝行の したい時分に 親は無し」と川柳が詠まれたのは、「人生50年、60年」時代のことであろう。今や「白寿哉 孝行するは 喜寿の人」と詠まれる老々介護の時代である。我が家だってオフクロとオヤジを送る頃に茫猿は、まだ前期高齢者(65)になったばかりだった。今や後期高齢者ともうすぐ後期高齢者が暮らす老々世帯ではある。

今夜は正信偈を詠み上げつつ、仏壇の両親にあなたの息子は無事に喜寿を迎えました。お二人に喜寿の祝いごとも差し上げることなく申し訳ありませんでしたと、語りかけました。《喜寿か傘寿の話はしたと憶えますが、いらないと断られた記憶があります。》

《追記 01.24 喜寿それで?
《追記 02.07 㐂壽翁の墓参
《追記 01.10 老いると云うこと
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《追記  見るもの全て愛おし》
畑を歩いていて、採り残した”鬆”(ス)が入っているだろう大根を見ても、秋の彼岸に咲かせる花を目指して株造りに励んでいるのだろう土手の曼珠沙華を見ても、雑木林の切り株を見ても、雪を頂く伊吹山を見ても、目に入るもの全てが愛おしく感じられる。 これは何なのだろうかと考え込む。万物全てが愛しいということは博愛ということなのか、それとも草木にも礫(イシコロ)土塊(ツチクレ)にも仏性を思うということなのか。

《追記:西部氏や江藤氏の自裁を養老氏は斯く語る
養老孟司:死に対してというより、もっと広く、いろんな事柄に対して不寛容な社会になっていると思います。老人の自裁死を認めるその裏には「老人は家族や社会のお荷物である」という不寛容があり、社会的影響力のある人間がそれをやってしまうと、不寛容な風潮をさらに助長することになりかねません。

死んだ本人は納得しているのかもしれない。でも、周りがどう受け止めるか。どんな影響を与えるかわからないわけで、極めて無責任だと私”養老孟司”は思います。その選択をする前に、ぼくに話してほしかった。

《追記 2020.03.11》東北大震災から九年目の今日である。ふと思いついて、古希の頃には何を考えていたかと、アーカイブを振り返ってみる。古稀(70歳・2014年)や緑寿(66歳・2010年)の頃は特別に稿を立てるようなことはしていない。少しづつ実感が伴いつつある老いについては語っているが、それも揶揄がまさっている。

死については殆ど語っていない。せいぜい”冥土の一里塚”とこちらも揶揄口調である。やはり、中村や村北や下谷が先に逝き、自らも脳梗塞を患い(2018.4.21)死が一段と身近になったこの頃とは訳が違うものがあるようだ。次の傘寿まで生永られるか、生きていたとして健康を維持できているか、少しずつ”死”への思いが変わってきている。まだまだ遠かった死が近くなってきた。死そのものよりも死に至るまでの病などの死出の旅路の有りようが気に懸るようになっているのだ。

 

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4 Responses to 㐂壽・内々祝

  1. 草刈 善佐 のコメント:

    小輩も13日にて喜寿を迎えた。
    同月とはどちらかが、傷つくかも。
    お主の記述はIMEパットを使用しながら楽しんでいる。
    「誕生日 ローソク吹いて めまいする」
    どーだ、参ったか。

  2. Nobuo Morishima のコメント:

    ということは、一週間ほど貴兄が先輩か!
    どちらが先かと問われれば、
    先輩、お先にどうぞと素直に道譲る。

    ロウソク吹いて目眩するから、”7””7”の二本しか立ててません。
    お主は77本立てたようだね。返すよりも付句を一つ
    『孫が支えて 喜哀半ばなり』”字余り”

    • 草刈 善佐 のコメント:

      了解した。
      残り1週間、余生を謳歌してください。
      年功序列は今はやらないけど。
       お先に失礼いたします。

      • Nobuo Morishima のコメント:

        ところで、君が次に養老へ出かけて来るのはいつ頃でしょうか?予定が分かったら、教えて下さい。SingoやInaに連絡します。

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