老いると云うこと

この記事の初稿は2019/10/14である。初稿後直ちに公開しようとも思えず、書き直し書き加えて、公開よしと考えれば開示するだろうし、開示できないかもしれないと考えていた。この「老いると云うこと」記事は、一つは子供や孫たちそして後輩諸氏に老いというものを理解する手懸かりとしてもらうため綴るのではあるが。

もう一つは同輩諸氏に”俺もそうなんだ、俺だけでは無いのだ”と安堵してもらう為、別の表現をすれば”同病相憐む”ところに記す。もう一つ付け加えるとすれば、我が老いの無惨を開示し、まさに開き直るところにある。老いた、されど其れが何か、其れだけのことさ、とでも云おうか。

老いが他人ごとではなく自からのこととなった此の頃は、我が身の老いを実感する出来事にしばしば出会う。万事入るを計って出ずるを制すと云うけれど、老いの自覚というか実感も”入る”と”出ずる”に現われるようだ。つまり摂食と排泄である。

脳梗塞を患ってから顕著であるが「摂食障害」を度々起こすようになった。嚥下障害を起こして「咽せる(ムセル)」のである。つまり、食べ物や飲み物を食道に入れず誤って気道に入れてしまい激しく咳き込むのである。場合によっては数分間も咳き込みが止まらずに涙が出てくるほどの時もある。

嚥下障害は餅を詰まらせて窒息死したり、肺炎を惹き起こして死に至る場合もある。老人に固有の現象で、かつて父親の咳き込みを見ていて気の毒に感じたことが何度もあった。そんな時にお袋は「慌てて食べるでだわ。(食べ物を)惜しまれてはいないものを」などとからかっていた。

嚥下障害と関連するのかどうかは知らないが、同じ喉の関連でタンの切れも悪くなった。何よりも滑舌が悪い。もともと悪声(加えて悪筆、そして悪性(アクショウ)とも云われる)であるから、余計聞き取りにくくなった。家人からは「何を言っているか分からない」と言われるが、家人の耳の衰えもあるようだ。滑舌のリハビリにと、毎夕仏前で正信偈一巻を詠み上げている。近頃は詠み上げで自らの体調も分かるようになった。

二つ目は排泄である。しばらく前から小便の切れが悪くなった。頻尿というほどでは無いけれど、出は明らかに悪くなった。出し終わるのに時間がかかるのである。ラッシュ時の駅のトイレなどに入るのは、避けないと列に並んだ後ろで舌打ちされたりしかねない。混雑時のトイレでは個室を選択したほうが無難であろう。

大の方も切れが悪くなった、残にょう感ほどではないが残ふん感が残る時がある。ふん切りが悪くなって、場合によっては軽く粗相をして下着を汚すことがある。慌ててトイレを済ませて駆け出したりするとイケナイのである。

この原稿を記していて思い出した。昔、もう十数年も前のこと、ムラさんと旅をしていた時のことである。駅や食堂など行く先々で席を立つ前に必ず手洗いを使っていたムラさんを思い出した。茫猿より十歳以上年長でビール好きのムラさんだから、今の茫猿に似た自覚症状があったのだろう、だから粗相をしないようにと用心を重ねていたのだろう。

もう一つ思い出したのは最晩年の母のことである。自力では便座に座ることもできなくなったものの、オムツ着用は拒否してベッド脇に置いた簡易トイレを使っていた。私に支えられ、孫に下着を降ろしてもらい(わずかな尿が出るだけの)用を足していた母のことである。

亡くなる数日前のことだから、意識も薄らいでいたのかもしれないが、用を足すと言い、便座に抱え座らされて用を足すあいだ、何を考えていたのだろうかと思うのである。そんな体になってしまった自分を情けなく思っていたのか、それとも夢現つ(ウツツ)のままにいたのだろうか。もう少し元気な頃(半月以上前では)には、「何でこんな身体になってしまったのだろうね」などと言っていたのだが。

さらにもう一つ、最晩年の親父のことである。ソラマメ大の乾いた糞がトイレ前の廊下あたりに転がっていたことが二度、三度とあった。「便通はどうですか? 下痢は?」などと尋ねると、「下痢よりも便秘に悩んでいる」という答えが返ってきた。トイレを詰まらせてしまい、ラバーカップ(ポコペン)で直したことも何度かあった。

老いるということは無惨でもある。母の主治医には「口から食事が摂れなくなれば御寿命です」と言われたけれど、摂食と排泄が自らの意思と機能で制御できなくなれば、それが老い極まることであり、極まれば御寿命ということなのである。それにしても嬰児(みどりご)のウンチは香り高く、食べ散らかしも可愛いと云うに。

今朝(2019.10.19  9:50)は金木犀の香りが高いなと思っていたら、先ほどから雨になった。雨が降りそうな重い曇り空の下では、香りは木の周りに垂れ込めるのだろうか。金木犀の香りでもフォロー仕切れない無遠慮ばなしで申し訳ない。

《話変わって、追記》
先ほどビール好きのムラさんのことに触れた。久しくお会いしていないそのムラさんに、一度お会いしたいと手紙を書いた。(2019.10.4)帰ってきた返事のハガキにはこうあった。

「前略 年老いた私は気分が衰えるので、何事につけても淡白になり、無駄なことはしないし、われとわが身をいたわって心配ごとをなくそうと思い、人に迷惑をかけないようにと、わが心に言い聞かす毎日を送っています。 宜しく」(2019.10.7)

茫猿が、昔に親しくお付き合いいただいた「よしみ」に甘えたのであり、ムラさんにしてみれば「昨日に変わらぬ今日」が大事なのであり、突然、今さらに昔のよしみなどと言われても迷惑なことだったであろうと、申し訳なく思っている。

今やムラさんは世間から些かの距離をおき、静かに軽やかにお暮らしのご様子である。この様な手紙、葉書の遣り取りすら、無駄に騒がしいことのなのであろうと思われる。彼が心に決めている様に、かつて竹林に隠棲した賢人のごとく、豊かで爽やかで心静かに過ごす日々が得られるようにと念じている。また我が身にもそんな日々が訪れるようにと願いつつ、今宵の正信偈は上げよう。

2019.10.18(雨)葉書の返事は返事として、兎にも角にもお訪ねしたいと、歯科定期検診の帰り道、スダチと柿をぶら下げて彼の住まいを訪ねたが留守だった。スダチを玄関扉のノブに下げて帰る。

《2020.01.08 追記》
父母が亡くなるまで、自らの死を考えなかった。父母を送り出すまでは達者でいたいとだけ考えていた。66才で父母を送り出したあとも70過ぎまで死は他所ごとだった。2018.4.21に脳梗塞で緊急入院した後は、自らの死というよりも死に至る病が一番の関心事となった。

ポックリとまでは往かなくとも、予告がされる癌死や旬日以内の病死であれば好ましいことである。全身麻痺は好ましくも望ましくもないが、それも何かの報いなのであろう。恐れるのは首から上が達者で、首から下が重症という病に陥ることである。下の世話を誰かに委ねるなど、考えるだけで悍ましい(オゾマシイ)。

脳梗塞の前歴を経たこともあり、考えるのは”オムツは付けたくない”である。そうなったら、如何に処するかである。先ずは食を細くすることである。できるかできないかを今考えても仕方ないことだが、木ノ実少食、できうれば飲まず食わずで余命を処したいと”今は”考えている。その場に立てば、現実に竦めば(スクメバ)どうなることやらとは思っているけれど。

今年も居室窓際の山茶花に椋鳥がやってきて花びらを啄ばんでいる。画面右端と左端に一羽づつ、ツガイかも。江川には(多分)バンがやって来ている。

《2020.01.09 追記》
今年の賀状で、三陸鉄道や気仙沼を訪ねたいと記した。昨年暮れより三陸の旅・旅程を検討し始めているが、先に進まない。東京の先まで出かけるのが何やら億劫な気もしてきている。

01.03に孫たちが帰京するに付き添って、豊橋や豊川稲荷へ小旅行をしないかと誘われた。暮れには付き合う気であったが、年を越してからは何やら億劫というか面倒に思え結局断った。豊橋行きを断り、孫たちを笠松駅に見送った直後に、先号記事に記した縁者の訃報を受け取った。

《2020.01.10 追記》
2020年も早や十日が過ぎようとしている。息子たちや孫たちが揃って迎えた正月が忽ちに過ぎ、縁者の葬儀を済ませてようやくに常の日々が戻って来つつある。非日常・ハレが終わり、日常・ケの日々を戻しつつある。年毎に非日常を疲れ時に疎ましく感じるようになり、変わらぬ穏やかに繰り返す日々が何ものにも代え難く思えてくる。

「何事も淡白に無駄なことはせず、われとわが身をいたわって心配ごとを少なくする」そんな村さんの暮らしが、とてもとても有り難いものに思える。

ところで、この記事は3111号である。次は区切りのよい3333号を目指したいとふと考えた。3000号を記したのが2018.06.27であるから、残り222号を掲載するには三年を要する計算となる。三年後には79歳となる、80歳目前かもしれない。何より222号を重ねるに足りるほど、書くことがあるだろうか、この記事を書いた後に…….。

《2020.01.11 追記》
この頃畑に出るたびに頻りと思わされることがある。父や母が衰えたとはいえ、まだまだ元気に野良仕事をしていた頃、動力鎌で草刈の途中などに声かけをしていたらと思うのである。「何をしているの?」とか「何か手伝おうか」などと、一声かけることがなぜできなかったのだろうかと悔やまれる。若いものから声かけをしていれば、また違った展開もあったろうにと思うことである。

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