我輩は駅である -4-

我輩は駅である。ジオラマ茫猿鉄道の基幹・明日開駅が我輩の名前である。いよいよ、HOゲージについて語る順番になった。明日開駅はNゲージ線路の駅でありHOゲージ線には関係が無い。でもHOゲージ線はNゲージ線路の外周に所在する後発路線であるから、見聞きしたことは多いので語る資格はあろうと考えている。

HOゲージとは縮尺1/87、軌間16.5mmの鉄道模型規格である。1960年代半ば頃にNゲージ規格が登場するまでは、鉄道模型といえばHOゲージを指すものであった。茫猿がその昔、多分小学生高学年の頃に両親だったか叔父叔母だったかは忘れたが、模型用の小型モーターを誰かに何処かで買って貰った経験がある。

厚み2cm強、幅と高さが3cm前後だったと記憶するこの小型モーターが直流用だったか交流用であったかの記憶はない。長く実家の机の引き出しに放ってあったモーターを見つけたのは、長い遊学、文字通りの遊学を終えて実家に戻った1969年春のことである。

買って貰ったのはモーター単体だけであるから、変圧器も整流器も無い。このモーターがO型模型用だったか、その他の模型用だったかも定かでは無い。手に入れた当座は眺めたりいじったりして遊んでいたが、追加する機材を購入する小遣いもなく親にねだる元気も無くて、モーターは引き出しの中で十数年も眠っていた。モーターでありながら、電力で回転させたことは一度も無い。

実家に帰って久しぶりにモーターを掌に乗せ、ズシリとくる感触を懐かしんだものの、当時の茫猿は鑑定士受験勉強を始めたばかり、間も無く結婚もしたし、モーターは再び忘れ去られ、そのうち何処かへいってしまった。この小型モーターを巡る十年余の思い出こそが、茫猿が鉄道模型に親しむ事始めなのである。

その後、1980年頃にL180╳W90(cm)のNゲージジオラマの制作を始めた。以後長い中断を挟んで、2009年迄の茫猿鉄道はNゲージのみであった。子供達が自活するようになり鑑定事務所は個人事務所に転換した2010年、ようやく懐と気分に少しばかり余裕のできた茫猿は、銀座天賞堂でSL-C62やC58-山口号を手に入れて茫猿鉄道HOゲージの歴史が始まるのである。

ジオラマ線路上にこの様に並ぶと威風堂々感が溢れる。走り出せば尚更である。手前がC-58山口号、山口線の新山口駅 – 津和野駅に運行される観光列車。奥がC-62である。

多くのHOゲージの最小回転半径は500mm前後であるから、円形線路を敷設しても1000mm╳1000mm強の面積を要する。複線ではさらに広くて、もちろんのこと列車を走らせれば目まぐるしいものとなる。茫猿鉄道のL2600mm╳W1500mmの基盤は、これでも待避線を有する最小規模と言ってよい広さなのである。だから待避線はあっても辛うじて2両編成が離合できる長さでしかない。

それでも50余年ぶりに念願叶ったHOゲージである。待避線路はあるけれど、駅舎も信号も踏切も無い、無い無い尽くしHOゲージ線路ではあるが、何と言っても複雑な造りをした持ち重みのある車両が実物同様に走る情景はNゲージでは得られないものがある。特にSLは連結棒や主連棒が左右に動いて走り出す様は見飽きないものがある。

走行音を楽しむついでに、レールの連結部分を通過する時に鳴るジョイント音を楽しみたいと、全部の線路では無理だが直線部分のレールを連結する時にしっかりと連結せずに名刺2枚くらいの間隔を残しておけばジョイント音を楽しめる。カタゴトとかガタガタンという音である。

サウンドシステムを導入すれば、走行音や警笛、汽笛なども楽しめるのだろうが、それは暫くはお預けである。その前に保有車両の点検や整備をしながら、ジオラマの情景も細部の調整や改善をしなければならない。

本日はここまでとする。《我輩は駅である -5- へ続く

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