書き続けて良かった

『鄙からの発信』を二十年も書き続けてきて、良かったと思っている。『母の旅支度(母の介護日誌)』を書き残しておいて、これも良かった。”母の旅支度”は、母亡き後も”晴耕雨読の日々”と改題して、今も間遠ではあるが書き続けている。

なぜ書き続けてきて良かったと思えるかと云えば、こうである。父と母が亡くなってもうすぐ十年になる。十年前に父や母は何を言ったのか、何を望んだのか、私は何を感じたのか、思い出そうとしても当時のことはもうボンヤリとしていて何もかもが定かでない。

何することもなくモニターに向かえば、十年前を辿って「鄙からの発信」アーカイブや「母の旅支度」を読み返して記憶を新たにしている。そして既に第三者の視点を持ちつつある茫猿自身が当時の自分を冷静に眺めている。時には新たな発見すらある。

それでも、「鄙からの発信」と「母の旅支度」を手がかりに、記憶の澱の底から十年前の日々を思い出そうとしても、無理なことが多い。末期に差し掛かった母の顔も、末期の母の様子も、書き残した記録以上に思い出せなくなっている。

病み衰え痩せ細った母の顔は日に何度も見ていたはずなのに、どうにも思い出せない。見ているようで見ていなかったのかもしれない。或いは見たくないものだから、記憶に留めることもしなかったのかもしれない。《当然のこととして、末期の母を撮影などしていない。》

春に三日の晴れなし、今日も雨であり畑の乾く暇も無い。でも一雨毎に桜の蕾が膨らんでくるのが目に見えるようになった。鄙桜の開花は遠くない。雨に濡れるのは、今花盛りの黄色いミモザと紅やピンクの椿の花である。今日はひねもすジオラマ架線柱の組立でもしようか。

 

弟のこと、娘のこと、若い頃の父母のことなどもっと書いておこう。いつか書けなくなった頃には、書き溜めたものを読み返して日々を過ごそう。弟も娘も父母もすでに誰も居なくなっているから、ことの正誤を訊しようもない。私だけの独り憶えである。

昔、七十年以上も前のこと。年子だった弟が小皿を抱えて、当時藁葺きだった我が家の小さな縁側から真っ逆さまに落っこちたことがある。母親からオヤツに少しの砂糖を小皿に盛ってもらい、先に縁側で舐めていた私のところへ、小皿を持って駆け寄って来たのだが、勢い余って縁側から転落したのである。

運が悪くて、転落した時に持っていた小皿が地表に出ていた石に当たって割れてしまい、弟は小皿を大事に抱えていたものだから、皿の割れ角でひたいを深く切ってしまったのである。大きな泣き声と流れる血で、動転した母親は弟を小脇に抱えて、近在で一番近かった今尾の医院まで走ったのである。今調べてみれば往復5km余りの道のりである。

行きは血を流し泣く弟を両手に抱えて走り、治療を終えた帰りは多分背に負ぶって帰ってきたのであろう。当時、弟は3歳か4歳、母は30歳前後だったであろう。その間、4歳か5歳の私は大きな不安を抱えて独りで留守番をしていたのだろう。弟のひたいの傷は長く残っていたのを憶えている。そのせいか、長じた弟が短髪に整えることは無かったと記憶する。

その弟が不慮の死を遂げてから早や十三年、そう今年は十三回忌を迎える。母が亡くなってからでも既に十年が過ぎようとしている。その弟の納骨に京都東山の大谷廟へ向かった後に、立ち寄った弟の戒名縁りの岩倉実相院。

毎日が過ぎてゆく、日々刻々に余命満了に向かって過ぎてゆく。 落語の死神と同じで、仏壇の蝋燭や線香と同じく限りある命を日々刻々削っているだけのこと。癌の余命宣告を受けない限りは、己の余命など誰にも分かりはしない。与り知らぬ命の刻限まで、日々を暮らしてゆくのであれば、暮らし方を考えずばなるまい。

余命と言えば、最近にも我が縁者や知友が余命告知を受けた。それぞれが半年前後の余命告知だったが、その誰もが既に一年以上を生き抜いている。最近亡くなった縁者も余命告知半年を受けてから二年弱を生き抜いて亡くなった。

其方彼方の話を伺えば、癌治療の変化は日進月歩であり、十年前の余命告知される状況とは様変わりだそうである。病状が第四ステージに進み余命半年と告知されても、抗がん剤治療や放射線治療それに病巣切除手術のよろしきを得れば延命一年二年どころか寛解も往々にしてあり得るそうである。

ただ、余命告知を受けてから抗がん剤治療を受け始めると、免疫力が低下して感染症に侵されることが間々あり、それで余命告知が現実のものとなってしまう場合がある様だ。感染症と言えば、最近、世間どころか世界を席巻している新型コロナヴィールス感染症などは、その危険度が最たるものの様であるが、同じ様にインフルエンザなどの危険性も見逃せない。

《追記》書き終えた記事を読み返していて気付いたことがある。書き続けてきたことは、記憶の澱の底を覗く手懸りであるが、もう一つの役割が有ったことに気付いた。物言わぬは腹ふくるるわざだと兼好法師は言うが、まさに日々の愚痴などの由無し事を唯々書き連ねておれば、腹に悪しきものが溜まることなく、心持ちが楽になる。茫猿にとれば「鄙からの発信」を書き流すことは整腸薬を飲むみたいなものかもしれない。

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