第23代自民党総裁に就任した麻生太郎氏は就任受託演説で「天命」という言葉を用いている。 麻生氏は天命という言葉をどのような意味で用いているのであろうかと疑問なのである。
天命という言葉は、一般的には天が与えた己が使命といった意味で使われるが、本来的には中国の易姓革命という受命思想にその源を発している。 易姓革命とは「皇帝が徳の無い政治をすれば、天命は別の人間に下り王朝の交替が行われる。」という思想である。即ち、王朝交代の大義名分として天命が使われたのである。 思えば麻生氏は安部元総理辞任時の与党幹事長であり、福田前総理辞任時の幹事長でもあった。総理に就任した与党総裁に代わり与党を掌握し総裁を支える幹事長として、連続二代の総裁の辞任に立ち会った訳である。 次こそは俺、それが天命とでも思っているのであろうか。
天命という言葉には、あまり意識されないけれどもう一つの意味がある。それは日本古来の思想であり、シャーマニズムにつながるといってもよい考え方である。 それは八百万の神という思想であり、神は森羅万象全てに宿るという考え方である。 仏教でも道元は路傍の石ころ土塊にも仏が宿るという、「山川草木悉皆成仏」という言葉であり、山河の全てに仏性をみるという思想である。 天命は特別な人に下るという思想とは対極に位置する思想といえる。
麻生氏はどちらの意味で「天命」という言葉を用いているのであろうか、己の前途に立つ総裁に徳がなく己こそが総裁にふさわしいと簒奪者の言う大義として「天命」を用いているのであろうか。 それとも「国民の命の全てが尊重されるべき命であり、国民は共生すべき」というような意味で用いているのであろうか。 麻生氏はただ使命と言えばよいものを「天命」などと大仰な言葉を用いて墓穴を掘ったのではなかろうか。 言葉で国民をリードする政治家の言葉というものは重いのである。 天命とか王朝に因みて云えば、「綸言汗のごとし」と云うではないか。
惜しまれながらも、「幸せな50年でした。」と、爽やかな出処進退を示した王監督に脱帽する今朝である。
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