冊子:止揚の第112号が届いた、いつもはそのなかの記事より「負けいくさにかける(96)」を転載しているが、今回は「負けいくさにかける」転載の前に大震災関連投稿を転載する。
本記事は、止揚学園の御理解を得て、止揚学園が年三回発行する「冊子:止揚」掲載記事のうちより転載するものです。
《じゃロから水が出た》小澤大地(陸前高田市・小学六年生)
今回の津波でひ害に会った時、止揚学園のよしとさんがむかえに来てくれてすごくありがたかったです。電車に乗っている時、少し不安な気持ちになったりしましたが、止揚学園に着いた時、みんなが本当にかんげいしてくれて、すごくうれしかったです。
みんな優しくて、着いてからすぐおふろに入らせてもらいました。おふろに久しぶりに入ると、あかがたくさん浮いて来て、お湯の表面があかだらけになるぐらいでしたが、久しぶりに入らせてもらったので、かゆみが取れたり、ぼさぼさだった頭がきれいになったりして、心も体も温かくなりました。
いちばんよかったのは毎日おふろに入れることと、電気や水があることです。手を洗えるのは本当に助かりました。家では手はそんなに洗えないし、雨水でしか洗えなかったのですが、学園では、じや口をひねると水が普通に出てくるので、手をよごしてもすぐに洗えました。
家では夕方六時や七時までにねなければ真っ暗で、ライトで手元が見えるくらいでしたが、学園では、夜は電気がついているので前の生活と同じような時間にねることができてよかったし、テレビがあったのでいろいろな番組を見たり、岩手県の地震情報を見たりすることができて、震度6弱の地震の時はすぐにメールを送ったりすることができて、「電気があるとこんなに生活が楽になるんだな」と実感しました。
それから少したって三月のたんじょう会がありました。三月のたんじょぅ日の人は少なかったけど、福井先生も三月生まれなのでよかったです。プレゼントはいろいろあって、津波で流されてしまった絵の具セットやくつ、文房具をもらい、全部今使わせてもらっています。 プレゼントの中で一番助かったのはペンで、赤ペンや青ペンは丸付けの時に使っています。
お母さんが迎えに来た時は、僕たちと同じように着いたらすぐにおふろに入らせてもらって「ここの人達はやさしいんだなあ」とあらためて思いました。一か月くらいの問お母さんとあっていませんでしたが、家族とあえてよかったと思いました。でもお父さんは僕が「牛を全部売っちゃだめ」などと言ったので、これないのは仕方ないなと思いました。
今は長部小学校に元気に通っています。電気は五月十一日にきました。冷ぞう庫も二週間前に東京の教会の人が送ってくれました。水はまだきていませんが、一番たいへんな時に平和な止揚学園で過ごさせてもらって本当に良かったです。ありがとうございました。
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