暑気払い

【只管打座・・暑気払い・・01.07.28】
 毎日が暑い日である。地球温暖化を先取りして地球灼熱化に耐えられ
るかどうか試されているような毎日である。この蒸し暑さを「京都議定
書」に反対するブッシュ大統領にお中元でお届けしたい気分である。
 さて、こうも暑いと、訪れる人も町で出会った人も、誰しもがその挨
拶は「暑いですね、本当に暑いですね。」と、見るからに暑苦しい顔で
芸のないことを言う。
 へそ曲がりの茫猿は「暑いときに暑いと言ってどうする。少しは暑さ
を忘れさせるような、涼やかな声かけができないものか」などと思って
しまう。
 夏来たりなば秋近しとは、自然の理(ことわり)である。どこかに秋の
気配をとらえて、僅かでも清涼感をもたらす言葉の遣り取りがほしいも
のだと思います。
 天候自然とはよくしたもので、大暑を過ぎれば夕刻など、軒端を伝わ
るそよぎ風に、初秋の微かな(かすかな)先触れを感じるものです。
 さて、話し変わって、気象以外にも身の回りに暑苦しい話が多い茫猿
としましては、都々逸コロがしにでも逃げます。
 都々逸をこのWeb Siteに取り上げたのは、都々逸とか古典落
語とかを理解するためには(古文を読解とか文法的にとかいう意味では
ない、うなずいたりニヤリとしたりするためにはと云う程度の意味であ
る。)広範な、別の云い方をすれば広くて浅くて雑駁な知識が根底に必
要だからです。そういう意味では鑑定士の選択教養科目とでも思ってい
るからです。
・妻と書かれてゆらいだ心 遊びでなくなる 今朝の宿
※妻と書いたのは男だろうか、女だろうか?
素直に読めば、連れの男が宿帳に妻と書いたのであろう。それを覗き見
て、女心が揺らされたのであろう。
 少し深読みすれば、女自身が妻といたずら心で書く。それを読んだ男
は心をグラっと揺らし、ボチボチ年貢の納め時かと心を決める。
 宿帳を部屋で書く習慣がなくなって久しい。フロントでチェックイン
する際の記帳は連れには判らないし、第一、そういう仲では並んでチェッ
クインなど普通はしないものである。
【時代が変わったから、ワイワイキャアキャア騒ぎながら、チェックイ
ンするのがトレンドなのよという、陰の声有り】
・朝顔につるべとられず わしゃ密男に かかをとられてもらい乳
※加賀の千代女の名句を下敷きにしているわけであり、
「朝顔に つるべとられて もらい水」という句を知らなければ面白く
も何ともない都々逸である。
【密男とは何ぞや、蜜のような男かという陰の声有り。確かに蜜のよう
に甘い男のことかもしれませんが、ミソカ男と読みます。ミソカゴト
(秘密のこと)をする男のことです。】
・竹に雀は品良くとまる 止めて止まらぬ色の道
※「梅に鶯、竹に雀」は日本画の古典的画材と言うより、教則絵のよう
なものである。特に水墨画では好んで画材にされる。だから、色の道と
いう止め句が生きてくる。
いつもの蛇足です ———
 何が暑気払いなものか、暑苦しい話で申し訳ござんせん。
 でも我が茅屋の前の水田は、この暑気で稲がすくすくと育っており、
一面の青田となっています。その青田を渡ってくる風が涼やかで、心和
む気がするのも、日盛りの暑さがあるからこそです。
 どんな時期にも、どんな事にも、表と裏、昇りと降り、丁と半がある
ものと思います。
それ程に達観している訳などありませんが、少し長く生きていると、そ
ういう風に自分を慰めたり労ったりする知恵がついてくるもので、暑い
ときには冬の寒さを思い、寂しいときにはうとましいほどの来客の日々
を思うと云う、身すぎ世すぎで会得したワザで己を慰めています。
 何せ、「世間の義理や、つまらぬ見栄を捨て、恥をかくことさえ厭わ
ぬ」を、信条にして生きようと思いながらも、定めかねて揺らぐ軒忍の
ような茫猿です。 吠え続けるのも根気という友達がいないと疲れます。

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