【茫猿遠吠・規制緩和・地価公示・固評標宅・01.08.01】
三題噺ではありませんが、規制緩和の潮流の中で、固評標宅と地価公
示の相対的位置づけを考えてみたいと思います。両者の相対的位置を見
極めれば何故に固評標宅鑑定が鑑定評価の根幹であるかがご理解いただ
けると考えます。
確かに鑑定評価制度の創設と地価公示制度の創設は車の両輪でした。
その後、時代が変わり、地価調査制度が発足し、さらに公的評価四価格
のリンクが求められ、固定資産税標準宅地評価にも相続税標準地評価に
も鑑定評価が採用されるようになりました。
近く、四者の鑑定評価書を含めた全てが、情報公開されるものと考え
ます。その時に何が起きるかを予想するのは、それ程困難なことではあ
りません。
地価公示と地価調査並びに若干の視点の違いはあっても相評の三者は、
全国画一の仕様によって行われており、書類上の格差はありません。
仮にあったとしても、それは僅かなものであり、問題を生じるようなも
のではないでしょう。ただ懸念するのは、この四者の中でも公開されて
いる価格の概念が異なっているという不親切さを未だに放置しているこ
とです。
※事情を詳しくご存じでない方のために説明しておきますと、公示価
格と地価調査価格は鑑定評価格が公示されています。つまり、この二者
は標準地や基準地の角地や接面街路方位と云った個性を反映した価格で
す。しかし、相評価格や固評価格は標準価格が公開されています。原則
として標準的形状の中間画地としての価格が開示されています。
そのようなことの結果として、我々専門家でも、事情が不明な地域の
公示価格については、標準的な価格と個性を反映した公示価格との関係
が正確には判らないという事態が起きているのです。(評価担当者の認
識が奈辺にあったか判らないという意味です)
そのことはさておき、固評標宅鑑定評価の有り様は異なります。鑑定
書の書式こそ総務省書式がありますが、付属添付資料については最低限
度的な仕様書はあっても、個々の自治体及び受託する鑑定士によって、
今後増々、自治体の要望を受けて、鑑定士の提案を受けて異なる仕様書
が採用されるようになるでしょう。・・・・その時に起こり得る事態は、
デバイドの進展でしょう。
これは、比準表一つ考えても直ぐに理解できることです。自治体毎に
鑑定士毎に比準表を作成する以上、その比準表の構成内容・・比較要因
項目や要因格差の区分方法などに開差が生じるのは当然の帰結でしょう。
固定資産税標準宅地の評価という特性からすれば、収益価格がますま
す重視されてゆくでしょう。その際に直接法収益価格のみが手法として
存在するとは考えられません。 DCF法や間接法など用途的地域に応
じた手法の駆使が求められるでしょう。
少なくとも、情報公開に際して直接利害関係者(納税者)に開示される
わけであり、開示効果はプラスもマイナスも含めて、公示・調査の比で
はないでしょう。
そのなかで、採用手法の適否、資料の質と量、添付付属資料の質と量、
何よりも開示に際してより市民に親切か否かなどが、今よりも厳しく問
われるものであり、それに応え得る仕様書を提案できるかどうかが、多
くを決めてゆくでしょう。
その時代の到来は目前です。その時に公示と固評がどのような関係に
あるか、あえて言揚げする必要はないでしょう。
固評は三年に一回と言いますが、今でも毎年時点修正(下落修正ですか
ら、地価上昇の時代に入れば時点修正は無くなるかもしれませんが)を
行っているのですし、地価上昇時代が到来すれば、主要な標宅について
は毎年鑑定評価を行って実態を把握しようとする自治体が登場しても不
思議はないでしょう。
さらに云えば、地方分権、省庁再編、事業並びに予算の重複を避ける
こと、等を併せて考えれば、さらなる事態の出現も想像不可能という訳
ではないでしょう。
別の観点から現実の問題をいえば、鑑定評価諸資料を収集するに際し
て、その原始資料の多くは自治体に存在します。
固評鑑定で自治体と日常の接触を保つ以上に、原始資料の収集も自治体
との日常的接触が不可欠です。
両者をリンクした上で、全体を俯瞰すれば公的評価と通称される各々の
相対的位置がどのように変化してゆくかは自明のことと考えます。
いつもの蛇足です
今日ただいま、固定資産税標準宅地鑑定評価の受託態様等が置かれて
いる状況は見方によれば悲惨なものでしょう。しかし、別の見方をすれ
ば、ひたすらに業務量の拡大を目指す人々と、それらとは一線を引いて
質的向上を目指す人々も少なからずいると見ます。
量的拡大と質的向上は両立するという考え方もあるでしょうが、少な
くともどちらを優先するかという点で両者は区分できると考えます。
鑑定評価の世界は、色々な面で二極化が進みつつあると感じます。
それはデバイドの進展といってもよいでしょう。
メガコンペの時代に入り、本来の鑑定評価を競うという時代なのだと
思います。このメガコンペを楽しむか楽しまないかが、鑑定士か鑑定業
者かを分ける基準かもしれません。
蛇足もう一つです
都市圏を中心に事例など要らないという鑑定士がいる。全国ネットで、
廉価大量処理を行い、収益価格中心で評価を行うから取引事例など要ら
ないと云う、比準価格的地価水準は、公示・調査・固評標宅のデータか
ら比準すれば十分だという。
そういう鑑定士は公示・調査・固評の業務に従事したことがないか、
していても軽視しているのであろう。公示・調査・固評・相評のために、
どれほどの努力を払って取引・賃貸・建設の資料を収集しているか想像
してみたこともないのであろう。
比準価格軽視論が蔓延し、評価の根幹が崩れつつある。
収益価格なかでもDCF法の手法論ばかりが横行して、賃貸資料論がな
おざりにされている。比準価格について云えば、このデジタル時代にア
ナログ比準表が相も変わらず横行し、デジタル比準表論が全くと云って
いいほど聞こえてこない。
固評に象徴される大量一括評価のなかでは
・アナログ比準表の比準価格にどれ程の信頼性を委ねられるか?
・賃貸資料の脆弱な収益価格にどれ程の信頼性を委ねられるか?
大きな疑問である。
信頼性という表現に問題があれば、説明能力と置き換えてもよい。
比準価格も収益価格もその信頼性や規範性は、まず基礎資料の質と量
に左右されるのではなかろうか。そのことを忘れたどのような高邁な理
論も、所詮、砂上の楼閣であり、空理空論であるのではなかろうか。
鑑定評価論が実践理論であることの出発点は、このこと即ち、鑑定評
価額に至る経緯がいかに理解を得られるかにあると茫猿は考えるのです
が、読者諸兄姉はいかがお考えでしょうか。
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